生物学的・文化的に「毛」に迫る

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毛の人類史

『毛の人類史』

著者
カート ステン [著]/藤井 美佐子 [訳]
出版社
太田出版
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784778315573
発売日
2017/01/24
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

生物学的・文化的に「毛」に迫る

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 恐竜絶滅(六五〇〇万年前)以後の世界で、鳥類と哺乳類が脊椎動物の二大覇者になったことは、以後の世界が激しい寒冷化に襲われたことを示唆する。鳥類は羽毛、哺乳類は毛という、ともにすぐれた防寒具を有しているからだ。

 薄くなった頭髪からはなかなか防寒具は連想しにくいが、羊毛など密生した獣毛は、毛間に蓄えられた空気層が抜群の断熱材となる。実際、寒さが募ると彼らは毛を直立させ、空気層をさらに厚くしてしのごうとする。ヒトの鳥肌は「裸のサル」になってなお残るそんな体質(立毛筋の収縮)の痕跡にほかならない。

 本書はイェール大学元教授(皮膚科学)の著者が、「毛の本質」、その「科学的・文化的・歴史的側面」、さらに「人類の生活における毛の役割」(オビの惹句)を分かりやすくまとめたもの。つまり毛の生物学的説明、文化的意義、人間による動物の毛の利用である。身体に属するものは目であれ口であれ、生理的役割以外に、社会的・文化的メッセージを強く発信する。むろん毛もそうで、だからこそ人々は権力者のヒゲや美人のブロンドに、振り回されてきた。

 正直、本書では「毛の本質」よりも、その他の「側面」についての記述の方が興味深い。最前の「裸のサル」の話は以下のように続く。人間は自分の防寒具を脱ぎ捨てる代わりに、動物の毛皮を奪って身につける。ヨーロッパ人のシベリア・北米進出も、第一の動機は毛皮猟だった。絶滅動物も少なくない。羊の防寒具をちゃっかり拝借する牧羊は、じつに大英帝国の基礎まで築く。そんな様子が十一章、十二章に活写される。

 それにしてもヒトはなぜ、一度獲得した毛を(特定箇所以外)再びなくしたのか。暑さ対策――。脳や筋肉活動は当然熱を生む。その熱を体外に発散するのは防寒以上に切実で、ヒトは毛を捨て全身をラジエーターにすることで脳と筋肉の長時間使用を可能にし、人間化への歩みを加速した、というのが科学者たちの一致した見方だ。同時にそれは頭髪、陰毛、ヒゲなど残った毛の文化的・社会的含意が増大することでもあった。

 正統派ユダヤ教徒はふさふさとした顎ヒゲを蓄え、シーク教徒は頭髪を切らずにターバンで巻くなど、多くの宗教や社会が頭髪に特別な関心を寄せてきた。仏僧はきれいに剃り上げる。清国人は辮髪を命よりも大切にし、日本の大相撲力士は引退時には髷を切る。そんな象徴的意味とは別に、毛髪は経済的に売買されてもいる。東欧系の金髪と赤毛だと六十センチの一束が百ドル以上、ペルー人やインド人の直毛の黒髪は二十ドルという。

 哺乳類原初の毛は直毛だったとか、アカペラ(無伴奏)の音楽バーバーショップ・カルテットの起源など、まことに興味の尽きない古今の話題が並ぶ。

新潮社 新潮45
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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