角田光代『源氏物語』を訳す

インタビュー

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源氏物語 上

『源氏物語 上』

著者
角田 光代 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309728742
発売日
2017/09/11
価格
3,850円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

角田光代『源氏物語』を訳す

[文] 瀧井朝世(ライター)

■翻訳の深み

──翻訳に取り組んでいるうちに、面白くなりましたか。

角田 面白くなりましたね。わかったつもりになっていても、こうやってじっくり取り組むと、これまでとは違う読み方ができて面白いなと思います。それでも「いつ終わるのか……」という不安はありますが。そういえば、『源氏』訳をやることになった、ということでは多くの同業者の方が気の毒がってくれたり、心配してくれました。

──分量が多くて大変だということ?

角田 そうですね。分量が少なくても原稿用紙六千枚、っていちばん多いからということなんでしょうけど……。川上未映子さんが樋口一葉の「たけくらべ」(「日本文学全集」13『樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鷗外』)を訳し終わった後、ある選考会で会って話したことがあったんです。そのとき「一葉をやり終わってどうだった?」と訊いたら、「訳すということが読むということのすごい深いバージョンだってわかった」と言っていて、そうなんだ!と思っていたんですけど、今ならちょっとわかるような気がします。こういうふうに取り組まなければそもそも『源氏物語』に興味ももてなかったし、構成の妙にも気づかなかったし、感情のありようとかもこんなに共感したりということはなかったと思うんですよね。

 面白いな、と思っているのは日本語の言葉の訳し方です。有名なのは「あはれ」とか「をかし」をどう訳すか、ですが。たとえば「なまめかし」という言葉。今の言葉にするとどうしても色っぽいとか艶かしいとか、色気のニュアンスが出てきちゃうじゃないですか。でも色っぽいという意味がついたのはもっと後の時代で、それまでの「なまめかし」は何とも言えない深い美しさ、ぱっと見たら誰もわからない、だけれども、よく見たら実は綺麗だったと気づくような美しさなんですって。

 そのとき先生が言った喩えは「五月の竹藪に雨が降って、一瞬雨が途切れて、空は曇っているし、竹は濡れているし、万人が綺麗だという景色ではないけど、じっと見ていると何か美しいと思っちゃうことを『なまめかし』と言うんですよ」と言うんですよね。「わかるわかる! その感じ!」と思って。でもそれにあたる言葉はないんですよね。今の日本語ではないんだけど、感覚では私たちは共有できるんですよね、千年前と。この感じの美しさというのはそれだけでわかるのに、今の言葉がないというのは面白い現象。

「いまめかし」というのも、すごく多くの本で「当世風」と訳しているんですけど、藤原先生は「ぜんぶがぜんぶ、当世風としないほうがいいように思います。華やか、というほうが近いときもあります」と言うんです。それを国文専門の同級生に「『いまめかし』はむずかしい」と話したら、「『いまめかし』は今で言うきゃりーぱみゅぱみゅみたいなことよ」と言うんです。わあ!って思っちゃうこと。つまり、何かまだわからないけど、新鮮で、これからくるものなんだわ!という感じ。面白いですよね。これも言葉ではなくて感覚のほうがよりわかる。「いまめかし」もたぶんすっと据わりのいい今の言葉がないんだと思うんですよね。

──たしかに、きゃりーは「当世風」というよりも、これからくるものという感覚が最初に見たときにありましたよね。

角田 可愛いとかかっこいいとかまだわからなくて、定義もできなくて、「いやぁ!」みたいな「何かあるんだろうな!」という感じ。その感覚は共有できるんですけどね。本当に今の言葉で書けるならば、「ヤバい! きたっ!」みたいな感じなんでしょうね。ひとつの言葉をどう訳すのかということを、研究として考えると、その答えこそがその専門家の哲学なり人生なりになっていくのではないか、そのくらい言葉というのは重いのではないかと、藤原さんのお話を聞きつつ思いましたね。私は研究とは違うので、やはり伝わりやすく、ということを重視するだけですが。

Web河出
2017年9月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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