角田光代『源氏物語』を訳す

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源氏物語 上

『源氏物語 上』

著者
角田 光代 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309728742
発売日
2017/09/11
価格
3,850円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

角田光代『源氏物語』を訳す

[文] 瀧井朝世(ライター)

■紫式部は女に厳しい

──紫式部は作家としてどういう特徴があると思いますか?

角田 作中人物が人のことを、特に女を貶めたり悪口を言っているときに、彼女の筆が乗っている感じがするんです。そこはとても面白いですね。

──末摘花の鼻の頭が赤いだけでこんなに貶されるのか、ってなかなか容赦ないですよね。訳しているとそういうタッチもわかるんですね。

角田 はい。そんなに近しく感じるなんて思わなかったんですけど、意外に早く、「帚木」を訳しているとき「今、作者絶好調!」みたいなのが見えてきて、「あれ? 思ってたのと違う!」と思いました。

──「帚木」はいろんな女を品定めする、ボーイズトークの場面ですよね。

角田 ボーイズトークのなかに「こんな女、ダサいでしょ」みたいな作者の意見が垣間見えるんですね。「上流といったって、家が落ちぶれればどうよ」とか、言いたい放題な感じで。すっごい嫌な奴だ、こいつ!って、ある親近感を伴って思いました。

──絶対的に誰にとっても理想的な男性がめくるめく恋愛をする話かと思ったら、意外と女たちに拒まれたりもしているし、女性側からしても「好きな人に愛されて幸せ」というよりも、男を拒んだり嫉妬する女のネガティブな気持ちのほうが生々しく描かれているというところはあると思います。自由恋愛の時代でもないし、恋愛といっても政治が絡んでいるので、恋愛を謳歌するような話にならないのはしょうがないとは思いますけど、嫉妬とか拒絶するときの感情のバリエーションがすごいなと。

角田 すごいですよね。

──女の人をよく見ているんでしょうね。

角田 女のバリエーションが面白くて。この物語に出てくる女たちはだれも名前を持っていませんよね。まあ、男もなんですけど、女のほうが特徴的に、地名や役職で呼ばれたりお部屋の名前で呼ばれたりしています。本文でもだいたい女とか女君とか姫君とか書いてあったりします。女というだけで個別化は必要なくて、ただいるだけ。その女が綺麗かとか、しとやかか、教養があるかという違いだけで、誰でもいいわけです。つまり顔がないわけです。

 ということはこの時代の女というのは、向こうから来る人間によって運命が決まったりする。拒むこともできるけれども、自分からは行けない。だからそういう意味で、どの女も同じ意味で名前も顔もない女たちではあるんだけれども、感情の動き、嫉妬だったり、身分の違いで卑屈になったり云々、その感情の違いだけで、女性を書き分けているわけですよね。それがものすごいと思いました。

──たしかに。「もともとの性格が勝ち気」といったキャラクター造形ではなく、立場によって生まれる感情が決められているような感じがありますよね。

角田 そうなんですよ。さらにこの物語では、男性は女性たちの場合とは違って、「感情」で書き分けられているのではなく、そうした「キャラクター造形」の差で描かれていることが多いようにも思いました。マッチョな無粋とか、お調子者とか、くそまじめな堅物とか。でも女は、性格もなく、ただ感情の機微の動きだけで人物を書く。しかも書き分けていますもんね。すごいことです。しかも現代の自分たちの感情の発露と違うのに、なるほどわかる!と共感してしまう。「空蟬」の帖でこうあります。空蟬は源氏と関係を持ったときには受領の妻であるわけですが、そんな運命になる前にこの人が来てくれていたらどんなにいい人生だっただろう……って思うというその哀しさ。本当にそのままよくわかる。

──読み進めるにつれてまた人物のイメージができあがってくるんですよね。「六条御息所」って呪い殺したり怖い女の人のイメージだったんですけど、こうやって通して読むとすごく切なかったです。「葵」の帖の、六条御息所と葵の上の一行が争う有名な「車争い」の場面なんて、通して読むと可哀想すぎると思ったり。あと紫の上も、小さい頃から「マイ・フェア・レディ」のように育てられた女性というイメージが強かったけれど、今回読んで、結局こんなに嫉妬に駆られているんだ、という哀しさを感じました。また、それに源氏が浮気も全部、彼女に告白するんですよね。

角田 それも現代的というか。そういえば、私、昔付き合っていた人があまりにも仲良くなりすぎちゃって、浮気の相談とかを私にするようになっちゃったことがあったんですよ。

──恋人である本人に? いちばん隠さなきゃいけない本人に?

角田 そうなんです。付き合いが長過ぎちゃって、浮気相談を受けるようになって。もう二人の間で関係性がわからなくなっているんですよね。そういう記憶もあって、これはなんて現代的なんだろうって。それを紫の上も小さいときから一緒にいるから、わかんなくなっちゃってるわけじゃないですか。「私はあの人がいいと思うわ」みたいなことを言ったりとかして。そういう妙に現代的なところも面白いですよね。

Web河出
2017年9月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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