【ニューエンタメ書評】須賀しのぶ『夏空白花』柴田よしき『チェンジ!』ほか

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

平成最後の夏、さまざまな“チーム”のドラマがありました。
夏の終わりに読みたい、胸が熱くなる6作品をご紹介します。

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 今年の夏は暑かった! 「高温注意」「屋外での運動はやめましょう」などというテロップが高校野球中継の画面に表示されるシュールさと来たら! そろそろ高校野球も、開催時期をずらすか開催地をドーム球場にするか真面目に検討すべきではないか──という声は毎年あがる。伝統あるイベントは総じて柔軟な対応が不得手なものだが、やってやれないことはないんじゃないかな。だって高校野球には熱意が現状を変えた前例があるから。

 須賀しのぶ『夏空白花』(ポプラ社)は、昭和二十年八月の終戦直後から、高校(当時は旧制中学)野球復活に向けて尽力した人々の物語だ。

 戦時中、野球は敵性スポーツとされ、甲子園大会も中断された。戦争が終わった翌日、学生野球の重鎮が朝日新聞大阪本社を訪ねて「甲子園を復活させよう」と提案する。早急に子どもたちの心を立て直さなくちゃならない、と。今日食べるものもなく、明日どうなるかわからない、道具は焼けてしまい、そもそも四年間の中断で子どもたちも野球をきちんとプレーしたことがない。こんな中での復活は無理だろうと記者の神住は考えるが、あることをきっかけに、彼は甲子園大会を復活させるべく走り回ることになる。

 神住と彼の周辺のドラマはフィクションだが、他はすべて史実である。野球に対する多くの人の熱い思いに感動する一方で、GHQが学生野球に冷淡だった一幕が胸に刺さった。楽しいものであるはずのスポーツをなぜ日本人は修行僧のように行うのか。なぜ技術も未熟な子どもの野球に、日本人はあそこまで熱中するのか。

 高校野球が開催されることは平和の象徴である。だが同時に最も軍国主義的なものが残っているのが、野球を始めとするスポーツの世界かもしれない。本書はただの感動物語ではなく、大きな問題提起を孕んでいる。これは大人の責任を問う一冊だ。

 野球といえばつきものなのが吹奏楽部の応援だが、吹奏楽にも野球の甲子園に匹敵する全日本吹奏楽コンクールがある。実はこれも夏の高校野球と同じ朝日新聞社の主催で、やはり戦時中は中断された歴史を持つ。

 額賀澪『風に恋う』(文藝春秋)はこのコンクールを目指す高校の吹奏楽部の物語だ。主人公の茶園基は小学生の時にテレビで特集された地元の高校、千間学院の吹奏楽部に憧れてサックスを始めた。だが進学した千間学院はかつてのような強豪校ではなくなり、見る影もない。けれどそこに、全盛期のOBである不破瑛太郎がコーチとして現れ、なんと一年生の基を部長に任命した……。

 彼らは全国大会への予選を勝ち抜けるのか、というのが物語の主線だが、実は本書のテーマは「高校生にとっての部活のあり方」にある。不破は千間学院吹奏楽部の黄金時代のひとりとして、悔いのない高校生活を送った。しかしその後、吹奏楽以外の生き方を知らないことに気づく。その経験から、吹奏楽に傾倒するあまり勉強が疎かになる生徒や、逆に受験のために部活を辞める生徒への対応に悩むのである。

 これは作中にも登場する言葉「ブラック部活」についての物語と言ってもいい。高校野球と同じだ。頑張ることが正義になる。その視野の狭さが最も危険なのだ。野球の『夏空白花』と吹奏楽の『風に恋う』に、近いテーマが内包されていたのは決して偶然ではない。これもまた、子どもたちのために大人が考えていかなくてはいけない問題なのである。

 ということで今回はスポーツや部活に欠かせない「チーム」をテーマに新刊を紹介していこう。

 高校野球があればプロ野球がある。柴田よしき『チェンジ!』(ハルキ文庫)はプロ野球選手を主人公に、人生の転機を描いた短編集だ。コンバート、背番号変更、引退勧告、フォーム改造、監督就任打診。最初の四編は、転機といえば聞こえはいいが、要するに「今のおまえではダメだ」という通告をされる話に他ならない。ほんの一握りしかなれないプロの選手になったエリートのはずの彼らが〈自分を否定される〉という慣れない事態にどう立ち向かうのかが読みどころ。

 野球選手が主人公ではあるが、極めて普遍的な物語だ。人はこれまでの自分を変えることができるのか。実績とプライドがあれば尚更だ。けれど変わらなければ未来はない。その葛藤と決意は読む者すべてを励ましてくれる。

 どの話も、そのチームの中で自分に課せられた役割を再認識する話と捉えることができる。自分のしたいことと期待される役割との齟齬に悩む人に、ぜひ読んでほしい。

 フィクション史上最強のチームといえば何だろう? 私は迷うことなく「梁山泊」の一味を挙げる。中国古典にして、日本でも多くの作家たちが翻案してきた『水滸伝』の、百八人のヒーロー(作中では好漢と称される)が集まったチームだ。ただ『水滸伝』は、決してハッピーエンドではなかった。多くの好漢たちが最後には斃れ、梁山泊は壊滅した。

 だが好漢たちのその後が見たい、巻き返しが見たいというファンは多く、中国では複数の後日談が作られている。いわば二次創作だが、その中でも十七世紀に陳忱によって書かれた『水滸後伝』の人気が高い。

 田中芳樹『新・水滸後伝』(上下・講談社)は陳忱の『水滸後伝』をベースに、日本の読者に向けてより読みやすく、スピーディにアレンジした作品である。これがべらぼうに面白い。『水滸伝』での梁山泊の生き残りたちが、とあるきっかけで再び集い、もう一度「替天行道」の旗を掲げるのである。わくわくせずにいられようか。しかも『水滸伝』でお馴染みのメンツに子どもがいて、その第二世代も活躍するというオマケつきである。ファンにはたまらない。

 だがむしろ私は『水滸伝』をよく知らない、という人にも本書をお勧めしたい。読みやすさは抜群なので、こちらから入って、前日譚として『水滸伝』に触れるという順序もありだと思うのだ。もちろん『水滸伝』の結末や登場人物の生き死にがばらされてしまうのは避けられないが、そこさえ気にしないなら、本書のリーダビリティとわかりやすさは入門編としてうってつけだと考える。

 余談だが「替天行道」をつい「天に替わっておしおきよ!」と脳内変換してしまうのは私だけではないよな?

 梁山泊が男のチームなら、女だけのチームの最たるものが大奥だろう。永井紗耶子『大奥づとめ』(新潮社)は大奥の女たちのお仕事小説である。

 大奥が舞台の物語というとどうしても御台所や側室たちのドロドロした争いを連想しがちだが、本書は文字どおり大奥に「勤める」女性の話だ。たとえば御台所の衣装仕立て係である呉服の間。公文書管理が仕事の御祐筆。外部との折衝を担当する表使。力仕事や雑用の一切を請け負う御末。大奥全体の食事を用意する仕事もあるし、芸事を披露する人たちもいる。それぞれのチームが集まって、大奥という巨大なシステムを支えているのだ。考えてみれば当たり前の話なのに、そこに注目した小説は少ない。近年なら堀川アサコ『大奥の座敷童子』(講談社文庫)くらいか。

 肝心なのは、男は家格以上の出世などあり得なかったこの時代に、大奥の女は出自にかかわりなく出世が可能ということ。しかも決して将軍のお手つきだけが出世の道ではなく、前述の仕事で才を認められれば、老中など幕府重役とも対等に口をきけるところまで昇れるのである。これは実にロマンのある話ではないか。

 物語はおもに、意に染まぬ部署に配属された女たちを主人公にして、彼女たちの屈託が仕事を通して次第にほぐされていく様を綴っている。特に、道化者(と周りは見ている)の御末・夕顔のくだりが実にいい。のちに別の部署に移った彼女が名前を変えて登場したときには快哉を叫んでしまった。

 本書の最大の特徴は、です・ます調の語り口調にある。です・ます調はどうしても「語って聞かせている」という形になりやすく、臨場感に欠けるとともに語り手の個性が出にくい難しい文体だ。本書も最初の二編あたりまでは、語り手が違うにもかかわらず物語が醸す色合いが変わらず、自分と作品の間にやや距離を感じた。けれど読み進むにつれて印象が変わる。同じ文体であるにもかかわらず次第にひとりひとりの個性が際立ってくるのには驚かされた。これは決して簡単なことではない。

 何かをなすために集まったのではなく、偶然そこに集った人がいつしかチームとなることがある。「地域」だ。

 映画化が決まり、著者自らメガホンをとることで話題の辻仁成『真夜中の子供』(河出書房新社)は、福岡市博多区の歓楽街、中洲が舞台。ホステスの母親が出生届を出さなかったため戸籍を持たず、育児放棄に等しい扱いを受けている少年・蓮司の、五歳から十九歳までを描いた物語である。

 両親が仕事でいない夜遅い時間、蓮司は腹をすかせて中洲の街を徘徊する。そんな彼を中洲の人々は「真夜中の子供」と呼んで、気に掛けた。あるものはご飯を食べさせ、あるものは飲み物を与えた。交番の警官は戸籍がとれないかと奔走し、地域の重鎮は彼を山笠に載せてやった。テント暮らしの男や唯一の同世代の少女が、彼をよく理解した。

 虐待や育児放棄により幼い命が失われる痛ましいニュースも後を絶たない。地縁という言葉が聞かれなくなって久しいが、中洲の人たちが決して押し付けでも義務感でもなく、自分にできる範囲で蓮司を助ける姿は、まるで著者の祈りのようだった。辛い境遇の少年を描きながらも、本書に不思議なぬくもりと力強さがあるのは、その祈りのせいだろう。

 これもまた『夏空白花』『風に恋う』同様、大人の責任の物語なのである。

角川春樹事務所 ランティエ
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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