遊廓観光――ダークツーリズムのすすめ 関根虎洸×中山智喜×渡辺豪トークイベント

対談・鼎談

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遊廓に泊まる

『遊廓に泊まる』

著者
関根虎洸 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784106022845
発売日
2018/07/31
価格
1,760円(税込)

【『遊廓に泊まる』刊行記念トークイベント】遊廓観光――ダークツーリズムのすすめ

[文] 新潮社

渡辺豪
渡辺豪

遊廓とグルメの親密な関係

関根 そういう楽しみで言えば、おいしいものは大切ですね。男性が遊廓に行く前に精をつけるという意味で、遊廓とグルメは密接な関係にあります。本でも番外で紹介した京都の五番町遊廓跡の妓楼を改装した江畑は、ひじょうにおいしい焼肉屋さんです。五番町は水上勉の『五番町夕霧楼』の舞台にもなったところで、このお店のほかに、すっぽん屋など精のつく食事処が今も残っています。
 この焼肉屋さんのご主人から、じつはうちには遊廓時代の地下牢がある、と伺いました。僕はもう、その「地下牢」という響きに痺れてしまいまして、ぜひ拝見したいとお願いしたところ、「いいよ!」ってことで、従業員の方に案内していただいた。しかも地下牢の壁には閉じ込められた遊女の殴り書きがある、と聞いて、これはいよいよ面白くなってきたぞ、と期待に胸を膨らませながら地下への階段を下りました。さて薄暗い中、壁をよく見ると、たしかになにやら文字が浮かび上っている。その場では夢中で写真を撮りました。それで帰宅してから大きく伸ばしてみたら……なんか「仕上ゲ」とか「セメント」とかの言葉があって、どうも建築業者が書いたものかな~と。でも、お店の方も遊女が書いた、と信じていらっしゃるので、なんだか言い出しにくくなっちゃって。建築業者が書いたものかもしれない、という曖昧なニュアンスで本に書きました。

中山 破れた壁紙から覗くように見える文字で、さもそのように見えるんです。

関根 ある種のドキドキするような恐怖感がありましたよね、階段を下りながら。

中山 今は遊廓に関して、インターネット等でたくさんの情報が出ている時代ですが、この件については、一切出ていませんからね。

中山智喜
中山智喜

洲崎パラダイス最後の物件

中山 ここでもうひとつ、異色の物件のお話をしましょうか。

関根 都内の洲崎遊廓跡、戦後は洲崎パラダイスと呼ばれた場所にあった転業アパートです。売春防止法施行後、遊廓は旅館のほか、料亭やアパートの経営にも分かれていった。こちらは取り壊す直前のタイミングで撮影する機会をいただきました。銭湯のような木札の鍵の下駄箱は、赤線時代のものをアパートでも使っていたそうです。

中山 一つだけ鍵のない下駄箱があって、こわごわ開けてみたら……空でした。なにか入っていたらいいなと思ったのですが、残念。踊り場のある磨きこまれた階段とか、竹の連子窓や部屋の天井の独特の意匠とか、オーナーさん曰く、赤線当時のママとおっしゃってましたね。

関根 家賃はだいたい3万から4万で、共同の手洗い場やお風呂がありました。

中山 撮影は昨年2月でしたが、これが事実上最後の姿ですね。外観がなんてことない感じなので、あまり知られずに残っていたのかもしれませんが、オーナーさんに確認したところ、このアパートが洲崎パラダイスに残る昔の建物の最後の1軒だったようです。

関根 全国的に遊廓からアパートに転業したというのは、少ないのでしょうか?

渡辺 よくはわかりませんが、一番多かったのは旅館業で、四分の一が旅館に転業したそうです。1部屋ずつ貸して家賃が入ってくるアパート経営は収入が安定しますが、稼働率を高めて1部屋にどんどん人を泊める旅館の方が利益率が高かった、ということなのだと思います。

中山 京都の橋本遊廓で伺ったのですが、旅館業はなかなか許可が下りなかったとか。設備の問題などで、望んだとしても全部が全部、旅館にできたわけではなかった。そんな場合、アパートとして企業の社員寮にしたという話を聞きました。

関根 それから温泉掘って温泉旅館にしようとしたけれども、冷泉しか出なかった話も。生き残りのために、みなさんなかなか苦労されたようですね。

渡辺 旅館にすると、そのまままたそこで売春業を行なってしまうのではないか、という当局側の警戒もあったでしょう。東京の吉原ではボーリングして温泉を掘り当てたようですが、ほかでも温泉旅館街を目指したところが多かったようですね。どこかモデルケースのようなところがあって、みんなそれを真似しようとしたのかもしれません。

中山 この取材では、温泉のある転業旅館って、残念ながら、ありませんでした。

関根 温泉はなかったですが、わりとどの宿からも近いところに、時代がかった銭湯がありましたね。

絶対おすすめの転業旅館、ベスト3

中山 それでは具体的に、とくにおすすめの旅館を3つ、ご紹介しましょう。まずは八戸市の新むつ旅館。本のカバー写真にもなっているところです。ここは、まあ、とんでもない旅館。

関根 初めて行く方にも絶対おすすめの1軒。そこは3人、意見が一致してます。

渡辺 じつは私が泊まったのは一回だけで、その時3部屋あって、2部屋が豪華な感じだったのですが、その2つが埋まっていて、私は布団部屋みたいのに押しこめられてあまり満喫できなかった(笑)。また行きたい。リベンジします。

中山 住宅街にあるんですが、外観がとてつもなく存在感があります。玄関に入ると有名なY字階段。圧倒されます。

関根 明治時代の遊廓の姿をほぼそのまま残している建築自体すごいのですが、この宿は女将さんがとても遊廓文化に理解が深くて、昔の資料類をたくさん残していて見せてくださる。こうした貴重な資料を閲覧できるということも、おすすめできるポイントです。明治32年の「遊客帳」には、接客した女性の名だけでなく、客の容姿や注文した食べ物、飲み物まで記してある。警察と遊廓がつながっていて、犯罪防止にも役立てていたということで、ちょっと意外だった。想像もしていなかったので、ああなるほど、と感心しました。

中山 しっかり管理されていたんですね。こうしたものは行かなければ見られないので、行ったときに、ぜひ。そして、何と言っても、近くの港の市場の朝ごはんがおすすめです!

関根 旅館の朝ごはんも良いのですが、八戸の港でも味わっていただきたいですね。

中山 次は同じ青森県ですが、すこし山間に入った黒石市の中村旅館

関根 こちらは、僕がまだ行ったことのない宿の中で、渡辺さんが一番のおすすめだと教えてくれた旅館でした。雪景色で撮影したいと思い、寒い冬を待って雪が積もった時期を見計らって訪ねました。

中山 中に一歩入ると、やっぱり階段がありますね。

関根 急な階段なのに手摺が低いな、と思って見ていたら、ここの80歳くらいの女将さんがひじょうに味のある方なのですが、「これは階段じゃないんだよ、“顔見世”だよ」と教えてくれた。つまり、ここに女性たちが並んで、下の土間からお客が見て女性を選ぶというものだったんですね。遊廓建築の独特な遊び心が多々見られる素晴らしい宿です。

中山 そしてここも朝食がおいしかった。焼き海苔、納豆、塩じゃけ、目玉焼きに温かいお味噌汁……こんな正当な朝ごはんらしい朝ごはんを出してくれる旅館って、もう珍しいのではないでしょうか。女将さんが作ってくれた、もうそれだけで涙が出ちゃいます。

関根 ええ。朝食だけで見てもベスト3に入りますね。

中山 本当に。旅館に泊まるうえで、朝食ってホントに楽しみだし、大切ですね。

関根 そしてもう一つ、やはりベスト3の朝食を出す、萩市の芳和荘

中山 ご主人が磨き好きで、どこもつやっつや。すごく清潔で、リーズナブル。

関根 部屋から出ると中庭に面していて、景観も楽しめる。中庭をぐるり囲んだ回廊の欄干には、「ちょうしゅうらう」と文字がくりぬかれていて、これが「裏屋号」だったそうです。渡辺さん、裏屋号とはどういうことでしょう?

渡辺 いや、私も初耳です。驚きました。

関根 僕も結局それ以上のことがわからなかったんです。

中山 欄干に文字を入れるというのも独特の遊び心ですね。そして朝ごはん!

関根 東京の名店で修業したご主人が作るそうです。とてもおいしかった!

中山 こうして3年取材して来て、あらためていかがですか?

関根 10年ほど前からでしょうか、チェルノブイリやアウシュビッツ、日本でも広島や東日本大震災の被災地のような、人間にとって悲しみの地をめぐる旅、ダークツーリズムに関心が寄せられるようになって、いわゆる負の遺産を「観光」する価値について考えるようになりました。そうした意味からも、遊廓跡や転業旅館もまた、すこし余裕があったら、ぜひ訪ねていただいて、いろいろ思いを馳せるきっかけとなってもらえたらいいな、と思います。

中山 渡辺さんは現在のお仕事をされる以前から、全国の遊廓地帯などを旅行されていましたね。

渡辺 初めは物珍しさが勝っていたんだと思いますが、なぜそこに遊廓があったのかを調べていくと、その町に漁港があったとか、鉱山があって栄えていたとか、遊廓を通してその土地を知ることができました。遊廓はまさに町の「窓」のような存在で、もしもその土地に遊廓がなかったら、歴史の1ページから大事なものが欠落してしまうようにさえ思えます。ダークという言葉にはいろいろな捉え方があるかと思いますが、人間の業のようなものと結びついていると思う。変に構えなくても、等身大の視点で地域の歴史に接することができるんじゃないか、などと感じながら、訪ね歩いています。

中山 転業旅館に泊まることをきっかけに、ガイドブックに載っていないような場所を探したり、その町を自分で調べる楽しみ方もありますよね。

関根 この本に載せた旅館は、全部自信をもっておすすめできるところばかりです。そこに嘘は断じてないのですが、じつは、到着するやいなや、待ち構えてくれていたようにご主人と酒盛りが始まっちゃった宿もありました(笑)。さすがにそこを1軒目に選んでしまうと、ハードルが高いかも。最後に紹介した3軒は、最初に行くべき宿としても絶対に間違いがないので、ぜひ「遊廓を体験」する旅に出かけて、本書を二倍三倍に楽しんでください。

新潮社 波
2018年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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