新写真論 スマホと顔 大山顕(けん)著
[レビュアー] タカザワケンジ(書評家、ライター)
◆他メディアと絡め、深く問う
写真論には古典とされているスーザン・ソンタグの『写真論』やロラン・バルトの『明るい部屋』などがある。どちらも半世紀近く前の刊行だが、いま読んでも面白い。ただ、現在の「写真」とはそのあり方が大きく変わっている。大山顕はその変化をこう表現している。「こんにちの『写真行為』は、撮って、投稿し、反応(「いいね!」やリツイート)を得るまでのプロセス全体を指す」と。
フィルムカメラの時代には撮影・現像・プリントというプロセスが必要だった。デジタルになってもプリントだけなら変わらない。しかしデジタル写真がネットでやりとりされるようになり、携帯電話にカメラが内蔵されたときから写真のあり方が決定的に変わった。たしかにその通りだ。本書はこれまでの写真ではなく、現在の写真、そしてこれからの写真のあり方をめぐって書かれている。だから「新写真論」なのである。
著者の大山顕は、工場や団地を被写体とする写真ブームを巻き起こし、ショッピングモールを建築的、社会学的見地から評価したりと、写真家という枠組みにとどまらない活躍を続けてきた。本書でも写真を論じるうえで、建築や文学、アニメやゲームを引用し、周辺メディアとの関係性から、新しい写真の姿を明らかにしようとしている。そこには、大山の写真作品と同様に、見慣れたものに注目し、私たちの目から何枚もウロコを落としてくれるユニークな視点がある。
本書を読み終えて思うのは、写真とは何か? という問いの深さだ。大山はあとがきで写真家とは「『写真とは何なのか』を言語化できる」存在だとしているが、私はむしろ、写真家とは「写真とは何なのか」を問い続ける人ではないかと思う。優れた写真作品は見る者に写真とは何かを考えさせるからだ。今回、大山は言葉でその答えを出そうとしているが、答えそのものよりもここから生まれる大山の作品に興味がある。『新写真論』の根底にあるのは、この理論を元にした大山の『新写真宣言』だからだ。
(ゲンロン・2640円)
1972年生まれ。写真家/ライター。著書『団地の見究』、共著『工場萌え』。
◆もう1冊
レフ・マノヴィッチほか著『インスタグラムと現代視覚文化論』久保田晃弘ほか共訳・編著(ビー・エヌ・エヌ新社)