ストーリーで楽しく学べる経済学の「メインストリーム」――『情報とインセンティブの経済学』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて

インタビュー

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情報とインセンティブの経済学

『情報とインセンティブの経済学』

著者
玉田 康成 [著]/石田 潤一郎 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641150720
発売日
2020/07/14
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

ストーリーで楽しく学べる経済学の「メインストリーム」――『情報とインセンティブの経済学』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて

[文] 有斐閣

編集部 本書の特徴やねらいについては、本書のタイトルが決まるまでのプロセスをお話いただくのがわかりやすいと思うのですが、いかがですか?

石田 タイトルについては、教科書ということもあり、奇をてらったような印象を与えるものより、できるだけ標準的なものをと考えていました。ただ、本書の内容は専門的には、「情報の経済学」や「契約理論」といったところになるのですが、専門外の人にとってこうした用語はなじみが薄く誤解されやすいという点を考慮して、現在の「情報とインセンティブの経済学」に落ち着きました。

玉田 例えば「情報の経済学」というタイトルだと、ITのような情報技術に関する問題を扱うのではないかという印象を与えがちですね。「契約理論」というタイトルも、契約法や契約の作法について学ぶのではないかと思われるかもしれません。

編集部 「ビジネス」という言葉を入れようという話もありましたが。

玉田 ただ情報にまつわる経済学的な問題というのは非常にすそ野が広いわけですね。だから特定の問題にフォーカスするのではなく、ビジネス以外の問題にも幅広く応用ができるという点を強調したいという意識はありました。

石田 ビジネスということになると例えば産業組織論という分野があるわけですが、これらはまさにトピックで定義されているわけです。一方で、本書においては、分析ツールであったり社会現象を見る視点といった側面を重視しているので、ビジネス関連の話はどうしても多くなりますが、特定のトピックに限定した印象はなるべく与えないようにしています。

玉田 インセンティブという概念は、この分野だけでなく、経済学全般におけるもっとも基本的な考え方のひとつなわけで、それはビジネスに限らず経済や社会の様々な場面で重要な役割を果たします。そこに情報の問題が密接に関連しているわけです。なので、分析の対象としての具体的な問題をあげて説明しながら、同時に広範囲に応用可能な分析ツールとしての側面にも焦点があてられています。

編集部 契約理論の話がありましたが、そうすると契約理論というのは情報の経済学の一分野という理解になるのでしょうか。

石田 そうですね。そのあたりの切り分けはもちろん明確なものではないのですが、契約理論とよばれるもので非対称情報を含まないものというのはほとんどないのだろうと思います。例外としては、コミットメントが問題となるケースですかね。

玉田 不完備契約も情報の経済学とはいえないでしょうね。またアドバース・セレクションは契約理論におさまらない根源的な問題で市場の失敗ととらえた方がいいし、それに関連してシグナリングも契約理論に入れると少し違和感がある。契約理論には取引のルールを設計するという発想がありますね。

石田 やはり契約理論のベースにあるのは、取引をより効率的に行うためのインセンティブ設計という視点だと思います。つまり問題解決への道筋をつけるという目標があるわけです。ただ、その目標を達成するためは、その問題の所在を認識しなければならない。その意味で、非対称情報が社会に大きな問題を引き起こすということ自体が画期的な発見であったわけです。情報の問題というのは決して特殊な環境で起こることではなく、我々の日常の暮らしのなかに潜む問題です。

編集部 本書でもレストラン選びとか、エコノミーとビジネスクラスとか身近な問題が登場します。

石田 ビジネスクラスの話はスクリーニングの典型例ですね。エコノミーの座席をもう少し快適にすることはそれほど難しいことではありませんし、そのためにもう少し高い値段を払ってもよいという人は多いはずです。でも、エコノミーがそうした人たちにとってある程度快適なものとなれば、誰もビジネスクラスは買わなくなります。

玉田 料理の質を上げることは、実はそれほど大変なことではない。むしろほどほどに下げることが難しい。

石田 そういう話は現実には結構多いわけです。あえてコストをかけて質を下げている場合もある。そういう視点を持つとエコノミーがなぜあれほど狭いのかも腑に落ちるかと思います。

玉田 身近な問題といえば、いただいた本書への感想として、小ネタがたくさんあって講義などで使いやすそうだというのはありましたね。あと、経済学を専門としない人からは、「ラチェット効果」を読んで日ごろ漠然と感じていたモヤモヤが晴れたという感想もいただきました。

編集部 想定される読者層やレベルについてはいかがでしょうか。

石田 入門レベルの良書はすでに多く存在しますし、研究者向けの専門書もあります。なので、その橋渡しを担う中級書というのが当初からの狙いでしたが、中級書を書くことの難しさというものもありました。入門に徹するのであればもう少し小ネタを盛り込むこともできるのですが、モデルを使って議論を展開するという縛りからあまり逸脱しないように書いているので、その分カバーできる領域は制限されます。関係的契約とか他にも入れたかったトピックはあります。

玉田 できればもう少し幅広いテーマを扱いたかったというのはありますね。一方で、現実的な応用例をきちんとモデルで紹介しようとすると分析が極端に複雑になりかねないので、そうしたトレードオフもありました。数式が多い難しい箇所もありますが、難易度が高い部分はできるだけ直感的に理解できるような説明を加えています。

石田 モデル分析は一種の訓練なので、最初はとっつきにくいかもしれませんが、少し我慢して根気よくロジックと数式を追ってほしいと思います。中級書で扱うレベルの少し複雑なインセンティブが絡み合った問題というのは、お話だけではわかったような気になるけど、本当に理解できているかというとそうではない。人間の論理力には限界があります。経済学者は数学を使って議論を複雑にしているという批判があるわけですが、実際は逆です。どういうことが起こりえるのか、それがどのような環境で、そして蓋然性で起こるのかということについて判別できないのです。モデルを使うのが実は近道だということを理解してもらえると嬉しいです。

玉田 言われてみると当たり前に思うのだけど、モデルを利用しないと気が付かないことというのは実は多いわけです。また、モラル・ハザードとアドバース・セレクションの違いでさえ、もしかすると厳密に議論しないと気づかないかもしれない。それから、モデル分析を行うことで、ある命題が成立するための前提が明らかになるという点も非常に重要です。

石田 当たり前に成り立ちそうなことでも実はそれには重要な条件があるということは、我々の普段の研究でもよくあります。そこから一歩下がって社会を俯瞰すると、現実の構造が以前とは違う角度から見えることがあります。経済学という視点を持たないでただ現実を観察してもその構造までは見えない。社会現象をモデルとして記述するというのは、有用な思考訓練なので、ゼミや卒論といった機会でぜひ試してほしいですね。

編集部 本書では各章の冒頭にストーリーがありますがこれの狙いや苦労された点などはありますでしょうか。

石田 最初に懸念したのはストーリーとしての一貫性と本書の構成の問題ですね。章立て自体は教育的配慮によって構成されているので、ストーリー展開とは本質的な関係は一切ないわけです。ただ、書き始めてみると、どんな状態でも情報の問題を見つけることはできるわけで、うまく書けているかどうかは別にして、話を作ること自体はそれほど難しくはありませんでした。逆にいうと、本書で扱っているもののなかで、ある特定の環境でしか起こらない問題というのはないわけです。

玉田 情報やコミットメントによって起こる問題というのはベンチャーでも大企業でも起こりえる話です。情報にまつわる問題は非常に身近な問題であり、そうした例は現実経済でいくらでも見つけることができる、どこにでもある話だということが、冒頭のストーリーによって一番伝えたい点かもしれません。

石田 経済学が扱う問題には、例えばマクロ経済政策のようにその重要性は明らかだけど、あまり身近ではない問題というのもあります。それに対して情報の問題というのは、我々の身の回りにあるのだけれど、その重要性には意外と気づきにくい。この分野はアカロフのレモン市場の論文が嚆矢となったわけですが、その論文が書かれた当時、その重要性がすぐに理解されたというわけでもありませんでした。論文が書かれた後でもそうなのだから、それだけ問題の所在を理解するのが難しいといえるのでしょう。

玉田 伝統的な経済学は主に市場の機能に着目するわけですが、情報の経済学では個々の取引に着目します。こうした問題意識というのは、経済学をやっていたら必然的にたどり着くというものではありません。取引レベルで起こる問題というのはミクロ経済学の教科書を勉強にも気づきにくい。お互いの顔が見える環境での取引で起こる問題について、最初にストーリーを読むことによって、その問題の所在をイメージしやすくなると思います。

編集部 最後に読者に対してメッセージなどはありますでしょうか。

石田 お話レベルで感覚的に理解することと、その構造について正確に理解することの間にはそれなりのギャップがあります。ざっと読んでもある程度わかるようには書いたつもりですが、やや複雑な議論についても立ち止まって実際に手を動かしながら考えてもらえればと思います。

玉田 情報の経済学の話をこのレベルで記述している本はあまりないと思います。入門書だとお話だけということが多いですし、その後は急にレベルが上がり高度な数学を使ったものになります。本書もすらすら読めるようなレベルの本ではありませんが、全体的にわかりやすさや伝わりやすさという点には配慮しています。また、難しい話だけでなく、関連するコラムなどを加えることで、ある程度メリハリをつけて読み進めやすくしたつもりです。是非とも手にとって、現実経済のあちこちにある問題を見つけ、対処するための知見を身につけて欲しいです。

(2020年8月5日オンライン収録)

有斐閣 書斎の窓
2020年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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