『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』
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新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録 村岡俊也著
[レビュアー] 太田和彦(作家)
◆「裏舞台」の人間くさい戦後史
新橋は終戦翌々日から闇市が立ち、翌年には関東松田組により総二階の「新生マーケット」が建ったが焼失。若き港区長は「新橋商場」(のちの新橋商事)として再興。駅前広場の街頭テレビなど戦後社会の縮図のような場となった。二十年後、東京都は西口東口のともに駅前に、地上九階、十一階のビルを建て、さまざまな店を入居させる。
外見のモダンとは裏腹に、居酒屋、喫茶、洋食、小料理、バー、スナック、靴屋、雀(じゃん)荘、理髪、碁会所、フラメンコ教室、金券ショップ、マッサージ、風俗店など、戦後を伝える小さな店がぎっしり詰まるビルの、新たな建て替え計画を知った著者は、丹念な取材を始めた。
酔った客に高級婦人靴を買わせ、後に店で交換して差額を手に入れるシステム。銀座伝説のシャンソン喫茶「銀巴里」でも歌ったママの四十年変わらないスナックに通い続ける客。五十年新橋を離れない独り者ギター流し。上階に住んで下の店に通い、一歩もビルから出ない人。苦労と猥雑(わいざつ)な人間くささは戦後史そのままに<新橋は天国、ここほどいい場所はない>と言う。
私も何度も入り、行列が絶えない洋食、昔のままの喫茶店、二坪の立ち飲み、二階に並ぶ中国系マッサージ嬢のお誘いの声も慣れっこだ。
そのビル背後の大居酒屋密集地帯は東京一だろう。かつて<新橋を制する者は東京を制す>とばかりに「極力新橋で飲む会」略称「極新会」なるものを作り新橋通いを続けたが、とてもとても制することなど不可能だった。
サラリーマンの聖地とも言われるのはなぜか。すぐ隣は高級な銀座、官庁街虎ノ門、その先は国会という、いわば表舞台とはちがう裏舞台。新橋で気取ってもはじまらない、本音を吐き、くだを巻き、怪しげなところも覗(のぞ)き、終電近くなると脱兎(だっと)のごとく駅に駆けつける。
健全に(と言おう)生きてゆくには必要なことだ。コロナ禍になって一層感じる。そこで商売を続けてきた人の話のおもしろさ。私も新橋に通って自分を取り戻そう。
(文芸春秋 ・ 1760円)
1978年生まれ。ライター。著書『熊を彫る人』『酵母パン 宗像堂』。
◆もう1冊
本橋信宏著『新橋アンダーグラウンド』(駒草出版)