排泄物が商売になった時代

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江戸の糞尿学

『江戸の糞尿学』

著者
永井義男 [著]
出版社
作品社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784861825552
発売日
2016/01/29
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

排泄物が商売になった時代

[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)

 ハイヒールの起源は、まだ下水が整っていないパリの路上に撒き散らされた排泄物を踏まないように歩くためだったといわれる。男性のマントも汚物の飛び跳ねよけだった……。その時代、人口一〇〇万都市・江戸ではハイヒールもマントも不要だった。糞尿は農民にとって大切な下肥の原料だったため、“商品”として高価で買い取られていたからだ。

 長屋の大家にとっては家賃の支払いを渋る店子も、共同便所に“黄金”を供給してくれる資金源。街道沿いには、小金稼ぎのために公衆便所を設置して糞尿を集める者もいた。要するに糞尿は商売になったのだ。汲み取り人は江戸の糞尿を買い取り、野菜を育てるために大量の下肥を必要とした農家にそれを売る。そして農民は育てた作物を江戸に売る。そんな循環システムとして完成していたからこその「衛生都市・江戸」だったのだ。

 江戸文化評論家の著者は、糞尿は江戸の一大産業であり、文化だったと断言する。それが証拠に、実に多くの記録や逸話、図版が残されている。本書ではそんな秘蔵図版や逸話、当時の生活がわかるコラムがこれでもかというほど多数収録されている。例えば、酔って便壺に落ちて溺死した大名、便壺に財布を落としてしまった武士の武勇伝などエピソードも満載。糞尿にも上・中・下の等級があり、栄養のある食事をしていた大名や大店、高級妓楼の汲み取り料は高く、貧乏長屋や牢屋敷のものは安価だったなど、文字通り“ウンチく”だらけの一冊だ。

 江戸の完全な循環システムが崩壊したのは都市化と人口増加。それまでお金を払って買っていた糞尿の供給が過剰になり、ついにお金を払って処分してもらうようになる。そして今、清潔で便利な社会が実現した一方で、下水処理は現代社会の大きな問題となっている。

 本書は、江戸の人々の環境意識は高かったと江戸を賛美する書ではない。あくまで、糞尿がビジネスとなっていたから、江戸には循環システムが機能していたという事実=ノンフィクションとして読んでほしい。

新潮社 新潮45
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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