寓話のかたちに想いを託す抑圧された小さな存在。尊厳を手放さない物語の力
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
韓国で一九七八年に刊行され、現在までの通算売り上げが百四十万部を超えるという、チョ・セヒの『こびとが打ち上げた小さなボール』(斎藤真理子訳)。軍事独裁政権が急激な都市開発を進めた時代を背景に、疎外された人々の苦しみを連作形式で描いてゆく。著者が自ら見聞したことがもとになっているらしい。
赤貧の労働者から大金持ちのお坊ちゃんまで、さまざまな階層の人物が登場するが、もっとも印象深いのは貧民街に住む「こびと」の一家だ。こびとの身長は、百十七センチ。小さな体で必死に働き、妻と一緒に家を建て、三人の子どもを育ててきた。しかし、地域の再開発が決定。住民は退去する代わりに、新しいマンションの入居権を与えられるが、こびとたちは食べるだけでかつかつだから、賃料を支払えない。工場に勤めていた息子は、工員の待遇の改善を社長に直談判しようとして、クビになってしまう。絶望したこびとは、月の世界へ行くことを夢見る。
暗くて悲しくてやりきれない話だ。ただ、こびとが月夜にれんが工場の高い煙突にのぼり、紙飛行機を宙に放つくだりなど、幻想的で美しい場面もある。暴力をふるわれていたこびとを助けた主婦の〈私たちもこびとです。お互いに気づいていなかったとしても、私たちは仲間よ〉という言葉には共感をおぼえる。時代や場所が違っても、小さな存在は抑圧されているから。
翻訳者の斎藤真理子は、『こびと』に類似した特徴を持つ日本文学として、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)を挙げている。水俣病とたたかう漁民たちの「声」を聞き、独自の詩的な文体で記録した作品だ。たとえば、女漁師が病のためにもつれた舌で、汚染される前の海の思い出を語る「ゆき女きき書」。再現される鮮やかな景色が、読んだあとも消えない。
藤本和子の『塩を食う女たち』(岩波現代文庫)は、著者が北米の黒人女性を訪ね、〈苦境にあって人間らしさを手放さずに生きのびることの意味〉を聞き書きした一冊。一人ひとりの「声」に、奪われない尊厳を見出すことができる。