連載8年、9000枚の大作『真田太平記』とはどんな作品なのか? 誕生までの経緯と魅力に迫る〈新潮文庫の「池波正太郎」を84冊 全部読んでみた結果【中編】〉

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真田太平記 1

『真田太平記 1』

著者
池波 正太郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101156347
発売日
1987/09/30
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

新潮文庫の池波正太郎を全部読む 中編

[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)

夢幻のように美しい死に際

 真田父子をめぐる人々も魅力的だ。

 物語の冒頭に登場する向井佐平次は、滅亡した武田家の足軽で、真田幸村と出会って、幸村に「おれと、お前とは、いつの日か、いっしょに死ぬるような気がしてきたぞ」(第一巻)と云われる。

 佐平次は無欲で出世を望まない。そこには「天下人であろうが、小者であろうが、人の世のいとなみは、みな、同じことなのだ」という悟りがある。そして、大坂冬の陣で幸村のもとに駆け付け、夏の陣でもともに戦う。

 幸村が死んだ佐平次を見つける場面は、夢幻のように美しい。

〈佐平次の死に顔は、何やら、うっとりと良い夢でも見ているかのように、おだやかなものであった。(略)(佐平次。死ぬる場所も、一つになったのう)〉(第十一巻)

 幸村と佐平次の関係に似ているのが、信之と鈴木右近だ。右近の父・鈴木主水は真田家の沼田城の支城である名胡桃城の城主だった。この右近を描いたのが、短編「男の城」(『あばれ狼』)だ。

 信之は右近を信頼し、京の伏見屋敷の留守居役を任せる。信之が、徳川と大坂のパイプ役となった才女・小野お通に魅了された際には、恋のキューピッド役を果たそうとする。

 昌幸の隠し子と噂される樋口角兵衛は、物語を引っかきまわす「異物」だ。敵との戦いでは、六角棒で馬の脚を叩き折る活躍を見せながら、信之や幸村を逆恨みして、しばしば迷惑をかける。

〈狂暴な血と、生いたちの暗さが、角兵衛を得体の知れぬ生きものにしてしまったのであろうか……〉(第十一巻)

 池波は、短編「角兵衛狂乱図」(『あばれ狼』)も書いている。

 角兵衛と対照的に、終始さわやかな印象を残すのが、滝川三九郎だ。

 織田信長麾下の滝川一益の孫で、ふとしたことから真田昌幸の娘・於菊を妻にする。伯耆米子藩を経て、徳川の旗本となる。「わしは何処にいても、わしの為すことを為すのみ」と、運命に逆らわずに生きる(第八巻)。

 滝川三九郎が池波にとって大事な登場人物だったことは、第十二巻の「後書」で、この人物のその後を描いていることからも明らかだ。

暗躍する忍びたち

『太平記』は、「真田忍び(草の者)と甲賀忍びとの戦いを横糸」としている。

 池波はすでに「錯乱」で、隠密を登場させた。菊池仁によれば、同作が発表された一九六〇年には村山知義『忍びの者』、柴田錬三郎『赤い影法師』が、その二年前には山田風太郎『甲賀忍法帖』、司馬遼太郎『梟の城』が発表されている。この忍者もののブームと無縁ではないと指摘している(「池波正太郎 忍者小説の系譜」『池波正太郎読本』新人物往来社)。

 池波の忍者ものは、新潮文庫では『忍者丹波大介』『忍びの旗』などがある。作品としては、丹波大介ものの続編にあたる『火の国の城』上下(文春文庫)が優れていると思う。

『忍者丹波大介』の後記で池波は、〔忍び〕は歴史の裏側で密かな活動を行なう存在で、「彼らへの愛着をおぼえる」と書いている。

 これを受けて、菊池仁は「忍者を主人公として設定することにより、従来の戦国武将物とはまったく違う時代のとらえ方が可能である」と指摘している(「池波正太郎 忍者小説の系譜」)。

 つまり、『太平記』では忍者という存在によって、戦国末期から幕府成立期までの状況を別の視点で見ることができたわけだ。

 それとともに、秀吉の天下統一の頃や、関ヶ原の戦いから大坂冬の陣までの間のように、歴史の動きがあまり大きくない時期は、忍者の活動を描くことで物語がダレないようにしたのではないか。

 多くの忍者のなかで最も印象的なのは、女忍者のお江だ。体力と知力を兼ね備えるいくさ忍びで、「何気もない百姓女の風体をしているのだが、怪鳥のごとく樹の枝にとまり、この寒気と雪の中で身じろぎもせぬ」(第四巻)というすさまじい力を見せる。

 その一方で、男に対しては情が深く、傷ついた向井佐平次を介抱し、真田幸村と抱き合う。

 関ヶ原の戦いで、お江は単独で徳川家康の命を狙う。この場面の原型は、『忍者丹波大介』にすでにあるが、どちらも息詰まる緊迫感だ。

〈宙に躍ったお江は、ゆれうごく輿の上から、こちらへ振り向いた徳川家康の両眼が張り裂けるばかりに見ひらかれているのを見た〉(第七巻)

 大坂の陣で仲間の草の者が次々と死んでいくなか、お江はしぶとく生き残る。信之のもとで働くことになった彼女は、信之に従って松代に移る。

〈お江より年下の信之の髪には、白いものがまじりはじめているが、お江の髪は黒ぐろとしているし、皺も目立たぬ〉(第十二巻)

 お江は『太平記』の登場人物中、最も生命力の強いキャラクターだと云えよう。

 また、加藤清正の料理人である片山梅春は、潜入した甲賀の忍びであり、蝸牛の銅板を所持している。「錯乱」にも登場するスリーパーの印だ。

 真田信之の家臣・馬場彦四郎もまた、徳川方が送り込んだ隠密だ。それを見抜いた信之は、彦四郎の友人・小川治郎右衛門に密命を与える。姿を消した彦四郎は、碁がたきである治郎右衛門のもとを訪れる。これも短編「碁盤の首」(『真田騒動』)に原型がある。

 他にも、草の者を束ねる頭領・壺谷又五郎、熟練の忍びである奥村弥五兵衛、向井佐平次の息子・向井佐助、お江を付け狙う甲賀忍びの猫田与助ら、多くの忍びが暗躍し、物語を盛り上げる。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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