連載8年、9000枚の大作『真田太平記』とはどんな作品なのか? 誕生までの経緯と魅力に迫る〈新潮文庫の「池波正太郎」を84冊 全部読んでみた結果【中編】〉
レビュー
『真田太平記 1』
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新潮文庫の池波正太郎を全部読む 中編
[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)
挿画家・池波正太郎
真田太平記館の中庭には〔ギャラリー《蔵》〕があり、連載時に風間完が描いた挿絵の原画を展示している。
風間の描く女性は優美でありながら、強さもある。先に挙げたお江の家康襲撃の瞬間をとらえた一枚には見入ってしまった(『真田太平記読本』百三十四ページに掲載)。連載の挿絵の宿命とはいえ、文庫版に風間の絵が使われていないのが惜しまれる。
なお、『太平記』連載中、一度だけ池波が風間に代わって挿絵を描いたことがある。
松本清張が『昭和史発掘』で風間完に代わって挿画を描いたことを聞いた池波が、「僕にもやらせてくれ」と風間に頼んだのだという(「池波さんとの二十五年 担当編集者・重金敦之氏ロングインタビュー」『真田太平記読本』)。松本清張は池波の先輩だが、社会で苦労を重ねたことや、時代小説を書いたことなど共通点がある。
それがきっかけとなって、池波は自作の挿画を担当するだけでなく、黒岩重吾や杉本苑子の本の表紙画まで手掛けるようになった。『太平記』文庫版の装画も池波が描いたものだ。重金氏は「子どもにおもちゃを与えてしまったようなものかなあ」と反省している。
もう一点、風間の挿画で印象深いのが、最終回だ。幕府から松代への国替えを申し渡された真田信之が、上田城を出発する場面である。
松代に移った信之を描いた長編が『獅子』で、「錯乱」や「獅子の眠り」(『黒幕』)を原型としている。
「大名のつとめと申すは、領民と家来の幸せを願うこと、これ一つよりほかにはないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦労に堪え得られぬものは、大名ではないのじゃ」
という信念を持つ信之が、家督相続の問題に乗じた幕府の陰謀に立ち向かう。
信之の死後、五代目・信安時代の騒動を描いたのが、前出の「真田騒動」。池波は、悪政の元凶とされる原八郎五郎に思い入れがあったのか、「刺客」(『賊将』)、「運の矢」(『あほうがらす』)、「恥」(『谷中・首ふり坂』)、「この父その子」(『真田騒動』)などに、この人物を登場させている。
「真田騒動」で、木工は失脚した原が罪人として引かれていく姿を見る。
〈原のしてきたことが、それほど悪いことでもなかったようにおもえ、長い間、原を倒すことに精力と神経をつかってきた自分自身が厭らしい小心者のようにおもわれてきた〉
「刺客」でも、敵対する側に原を「好きな男だ」と云わせているあたりに、世の中は白と黒で割り切れないという池波の信念がうかがえる。
なお、「運の矢」は、小心者の主人公が死を覚悟して父の敵に向かったところ、見事に打ち取ることができる。すべてがうまくいったように見えたが……という皮肉な話。池波は、ある人から聞いた話を時代小説の世界におきかえ、敵討ちの主題として書いたと述べる(「敵討ち」『新年の二つの別れ』朝日文庫)。
そのうえで、現代のエピソードを時代小説として書くのは、「はっきり史実にあるのを小説にするより」難しい。それは主人公に「作者としての私が同化してしまわなくてはペンをとれぬ」と書いている(同前)。
このほか、「真田もの」としては、のちに真田が領することとなる沼田城の主・沼田万鬼斎の運命を描く長編『まぼろしの城』とその原型「幻影の城」(『あばれ狼』)や、真田家が舞台となる「槍の大蔵」(『黒幕』)、「へそ五郎騒動」(『谷中・首ふり坂』)などがある。
以前は他社文庫に入っていた作品も、いまは新潮文庫にまとまっており、「真田もの」の全体像が見えるようになったのはありがたい。
真田一族が出てこない戦国ものとしては、直木賞候補となった「応仁の乱」(『賊将』)、武田家が舞台の「鳥居強右衛門」(『あほうがらす』)、多くの武将のもとを渡り歩いた渡辺勘兵衛が主人公の「勘兵衛奉公記」(『黒幕』)などがある。
『剣の天地』上下は、上州・大胡の城主である上泉伊勢守がその立場を捨てて、一人の剣士として生きる物語。諸国をめぐる旅に出た伊勢守は「このような境界に入って、世の中がひろく見ゆるようになったのう」と語る。
伊勢守が達した境地は「新陰流」として、柳生家に受け継がれることになる。関連する短編として「夫婦の城」(『黒幕』)がある。
これらの長編・短編には、共通する人物やエピソードが多く、関連性を意識しながら読むと、より楽しめるだろう。
短編で描かれたエピソードが支流となって、大きな流れに合流して生まれたのが『太平記』という大河小説である。だから『太平記』を読むことは、池波の作家としての過程をたどることでもあるのだ。
ゆかりの地で仏映画
『太平記』ゆかりの地をひとめぐりすると、午後になっていた。真田家発祥の地と云われる真田の庄や、幸村が居住した砥石城、幸村と佐平次が出会う別所の湯などにも行ってみたかったが、日帰りではとても無理だ。
上田の町で、〔刀屋〕と同様、池波がひいきにした〔べんがる〕のカレーも食べてみたかったが、この日は定休日だった。
上田の中心部はほとんどが平地なので、電動自転車だと結構遠くまで足を延ばせる。上田図書館の二階で郷土資料を眺めたり、たまたま見つけたカフェ〔kadokko〕で休憩したりする。
池波は、上田城の北方に太郎山があることで、
〈上田は冬も暖かく、現代も、他国の人びとの、
「上田へ住みついたら、もう、他の土地へは住めなくなる」
という声を聞くことが、めずらしくない〉(第二巻)
と書いている。
短い滞在だったが、私も上田という町が好きになった。
ふらふらと歩きまわるうちに、古い町並みの残る柳町に出た。通りにある古本屋〔コトバヤ〕を覗いてみたら、池波の『その男』全三巻(文春文庫)が並んでいたので、記念に買う。
最後に向かったのは、〔上田映劇〕だ。
戦前から続く映画館だが、休館を経て、NPO法人による運営に代わる。一九一七年(大正六年)の開館当時の木造二階建てで、ミニシアター系の作品を上映している。以前からここで映画を観たかった。
ロビーに入ると、奥に本棚があり、長野県大町市に店舗を持つ〔書麓アルプ〕が選んだ古本を並べている。棚の一番上に池波正太郎のエッセイ集『フランス映画旅行』(文藝春秋)が面出しされていた。
この日観たのは、アリス・ディオップ監督の〔サントメール ある被告〕。フランスに留学したセネガル人女性が犯したとされる殺人事件の裁判を描く。フランス映画を愛した池波が観たら、「ここまで進化したか」と驚いたかもしれない。
上田駅まで戻り、『真田太平記』と池波正太郎をめぐる小さな旅行は終わった。帰りの新幹線では、読みかけの池波作品のページをめくった。
次号の最終回では、アウトローを描いた作品や、幕末ものと現代小説、そしてエッセイを取り上げます。