細かいところが気になりすぎて―ツッコミ中毒者の日々―
2023/02/17

習い事は「いい思い出が本当にない」 極度の人見知りだった銀シャリ橋本が体験した日々

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 人気お笑いコンビ・銀シャリ橋本直さんが文芸誌「波」で綴るのは、どうしてもツッコまずにはいられない、そんな“ツッコミ中毒”な日々。第4回のテーマは「習い事の思い出」です。相方・鰻和弘さんの4コマ漫画もあわせてお楽しみください

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 幼い頃、ピアノ教室に通っていた。というか通わされていた。ピアノを習いたいなんて、一回も言ったことはない。格好良く弾いてみたいという憧れや欲求がなく、泣きながら練習をさせられていた記憶がある。よくぞ辛抱強く通っていたなと自分でも感心する。

 当時周りの友達もピアノを習っている人が多かった。妹も習っていた。直接訊いたわけではないが、妹もピアノへの情熱は僕と同じくらい低温に見受けられた。

 広い家でもないのに、リビングにどんと鎮座するアップライトピアノ。僕も妹も「ピアノ買ってちょーだい!」なんて要求したことは、もちろん一度もない。

 白いレースのカバーがかけられ、最初は大切にされていたピアノだが、そのうち扱いが雑になり、蓋をするとき鍵盤の上に敷かれるえんじ色の布は、サブウェイのサンドイッチのレタスが如く、いつも蓋から少し飛び出していた。

 将来ピアニストになるわけでもないのに家にピアノいらんて。ピアノ置くスペースで2人くらい寝られるって。僕や妹には、音楽の教科書の裏にプリントされている擬似鍵盤で充分やって。そんな熱量だったから、結局、「猫ふんじゃった」さえ弾けず、全然「猫ふまず」に終わる羽目に……。

 そういえばピアノの発表会も地獄だった。当時の記念写真には、白シャツネクタイに半ズボンという、アラレちゃんに出てくるオボッチャマンと化した僕が仏頂面で写っている。プロ化する前のサッカー選手くらい、足元の白いハイソックスは膝頭まで伸びていた。
 
 
 
 他にもテニス、剣道、体操、水泳も習っていたけれど、ピアノ同様、自分からやりたいと言ったことはない。

 冷静に考えたら全部個人競技で、大人になってからその理由をオカンに尋ねたところ、

「団体スポーツの習い事やったら、親同士の付き合いとかめんどくさそうやん」

 あまりにはっきりと言われて、文句の一つも返せなかった。どんなこともオブラートに包めない、いや、包まないのがオカンだということを忘れていた。
 
 
 
 今振り返っても、どの習い事にもいい思い出が本当にない。

 テニスはオカンと妹が先に習っていて、「3人目からは月謝タダやから習え」と。理由にまったく納得できないまま、とりあえず一日体験に連れて行かれた。

 その日は僕にしては珍しく風邪気味で体調が悪く、開始早々、コートでゲロを吐いてしまった。さすがのオカンも慌てて、気まずかったのか、コーチに見えないようにラケットでゲロを隠そうとしていた。いくらラケットのガットの目が細かくても、そのセキュリティでは丸見えよ。

 剣道もオカンの友達のお子さんが習い始めたというだけで習わされた。面倒くさい、いや、「面胴臭い」と言うべきか。小学校低学年くらいだったから、防具の面の紐を後ろで結ぶのが難しくて、練習が始まる前からいつも憂鬱だった。

 ある大会の初戦、僕は近所に住む同級生の女の子と対戦することになった。小手が決まりあっさり勝ったのだが、その小手が決まるや否や、女の子が痛がって泣きだした。自分のせいで泣いている女の子を前に勝利を喜べるほど僕も悪趣味ではない。無性に悲しく、テンションが下がったまま、二回戦ですぐに負けた。ほどなくして僕はそっと竹刀を置いた。
 
 
 
 体操教室は、まだマシだった記憶がある。体操といっても大玉転がしや玉入れといったレクリエーション的要素が強く、とりあえず体を動かして楽しもう! というノリだった。でも当時の僕は極度の人見知りで無口だったので、色々な地域から通ってくる知らない小学生と仲良く喋れるわけもなく、仏頂面で大玉を転がしていただけだった。

 そんな体操がなぜマシだったかと言えば、夜8時くらいの帰り際、体育館の高い高い天井から放たれる照明の、カクテル光線のような輝きだけは、いつも見るのが楽しみだったのだ。あの「夜の体育館」でしか見られない光線は、白いマットの独特な匂いとともに今でもまだ鮮明に覚えている。そういえば、天井にはずっとバレーボールが一つ挟まっていた。

 天井といえば、僕はプールの天井を見るのも好きだった。

 これまたオカンの別の友達がプールを経営しているという理由で水泳を習い始めたのだが、僕は泳ぐのが大嫌いだった。耳に水が入るのがとにかく気持ち悪かったのだ。ボボボーという、耳に水が侵入してきた時の音が怖すぎたし、プールからあがった後も耳に水が入ったまま取れない恐怖にも、常に怯えていた。

 コーチに「耳に水が入るのが怖いんです」と伝えたら、水泳帽を耳まで覆うようにギューンと下に引っ張られ、深く被らされた。結果、クロールの息継ぎをする度に大量の水が入ってきて、とんでもなく逆効果だった。


漫画:銀シャリ・鰻和弘さん

 だから息継ぎの必要がなく、そもそもから耳が水に浸かっているのでもう入ってこない背泳ぎができるようになった時は嬉しかった。それに、背泳ぎだと屋内プールの天井を見ながら泳ぐことになる。体育館よりもっと高い天井でいくつも光る白い照明は、耳が水に浸かっている分、周りの音が遮断され、僕を不思議と穏やかな気持ちにさせた。
 
 
 
 これでは習い事の思い出というよりは、ただの天井マニアの思い出みたいだ。こんなに天井が好きなのは、僕か、ずっと挟まれているバレーボールくらいだろう。
 
 
 
 色々な習い事を経て、30年ほどたってから僕が漫才師をしているなんて、オカンは夢にも思わなかっただろう。

 そういえばつい最近帰省した時に、オカンと習い事についての話になった。

「ピアノも今、全然弾かれへんし、何ひとつ身についてないで。なんであんな頑なに習わしたかったんや」と、笑いながら懐かしんでいたら、衝撃的事実が発覚した。オカンは子供の頃にピアノを習いたかったけれど、自分の母親が習わせてくれなかったので、どうしても自分の子供には習わせたかったらしい。なんやその、「母の仇を子供で討つ」みたいなんは。

「ほんなら、オカンが自分で習ったらよかったやん」とツッコんだら、すぐに反応した。

「最初は習ってたで。でも全然下手やったから、すぐ諦めてん」

 子供に引き継がすなよ。いやもはや弾き継がすなよか? 頼むから自分の代で閉店してくれ、伝統も職人技の継承も関係あらへんがな、老舗ぶるのは勘弁だ。

 僕が抗議の意を込めて捲(まく)し立てると、「え~そんなん知らんやん、もっと先言うて~や~」と、猫撫で声で誤魔化してきた。

 この目の前の、猫を踏んじゃいたいわ! やっとついに、猫ふんじゃえる!! という気持ちをグッと堪えて、僕は実家を後にした。

(銀シャリ橋本直さんのエッセイの連載は毎月第3金曜日にブックバンで公開。橋本さんの“ツッコミ中毒”な日々が綴られます)

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橋本直(はしもと・なお)
1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部を卒業後、2005年に鰻和弘とお笑いコンビ「銀シャリ」を結成し、2016年に「M-1グランプリ」で優勝。現在はテレビやラジオ、劇場を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ている。

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