細かいところが気になりすぎて―ツッコミ中毒者の日々―
2023/12/15

「あれは一人じゃなかったんですね」と疑われた銀シャリ橋本…露天風呂付きの二人部屋での一日 熱海旅行の思い出を明かす

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人気お笑いコンビ・銀シャリ橋本直さんが文芸誌「波」で綴るのは、どうしてもツッコまずにはいられない、そんな“ツッコミ中毒”な日々。第14回のテーマは「熱海一人旅」です。相方・鰻和弘さんの4コマ漫画もあわせてお楽しみください。

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 去年の3月に一人で熱海に旅行へ出かけた。結婚する前だったのだが、ラジオでもそれを喋っていたため、後で「あれは一人じゃなかったんですね?」とよく言われた。僕が一人で旅行するなんてあり得ないと、周りは強めに思っているゆえの質問だろう。それもそのはず、人生初の一人旅だった。なぜ急に一人で旅に出たくなったかといえば、42歳を前に、自分の価値観はこのままでいいのかと考えることが増えていた。コロナ禍もあいまって、そろそろ価値観のアップデートをしなければならない気がしたのだ。

 仕事への向き合い方、そもそもの仕事のやり方、今後何に重きを置いていくか……。と、たいそうなことを並べてみたが、つまりはナルシズムに浸りたいだけのこと。ホテルの部屋から夕焼け色に染まる海を見ながら黄昏たいだけというか、一人旅ってちょっとカッコええやん、と思った自分がいたのも嘘じゃない。

 とにかく、めちゃくちゃすごい宿に泊まってゆっくりしようと決めた。観光ではなく、今回の一人旅の目的はあくまで価値観のアップデートだ。自分との対話にじっくり取り組む必要があるから、宿泊先を最重要視しようと。

 昔から大好きな金沢がすぐ頭に浮かんだが、天気予報を見るとあいにくの雨だ。自分との対話中の雨は、きっと切なさが増しそうだ。やめよう。

 次に浮かんだのは、これまでよくロケでも訪れたことのある熱海だ。東京から新幹線で40分程度という近さも良い。すぐに検索してみると、それはそれは素敵なオーシャンビューの部屋が見つかった。しかも露天風呂付きの客室だ。天気予報は曇りの予想。ギリセーフ。ここしかないとすぐに予約した。
 
 
 
 旅行当日の朝はワクワクしながら目が覚めた。チェックインは15時からで、観光する予定がないこの旅に、早起きは不要。それもまた良い。

 熱海駅に着くと、心地よい風が僕の頬を揺らす。気持ちよく歩いていたらいつの間にかホテルに到着した。海が近くて大きくてモダンな建物を前に、誰に聞かせるわけでもなく「最高やん」とつぶやいた。

 チェックインの手続きを済ませると、ブラック革張りでありながら座り心地はふんわりしたソファーでお待ちくださいとのこと。すぐに出てきたお抹茶と和菓子に、テンションが上がる。上品な甘みが全細胞に染み渡る。ナイス過ぎるオープニングアクトだ。

 ホテルのスタッフの方は優しく上品で、かつスマートな所作。ナイスダンディな雰囲気につられて、案内される間、僕は「きれいなホテルですね、いつできたんですか」と大人のつなぎトークを繰り広げる。これぞ一人旅。

 部屋の扉を開けると「わぁ~」と漫画みたいな声が出た。というか漏れ出た。想像以上に素敵な部屋で、窓のむこうはオーシャンビュー。ベッドに寝転べば、そのままオーシャンビューを楽しみながら就寝できる仕様だ。

 テレビはないのかなと思ったら、ボタンひとつでベッドの足元にあるウッド調の低めの棚の中からテレビがせり上がってくるタイプだった。漫才の聖地、なんばグランド花月のセンターマイクやん! 寝転びながらテレビが観られるし、オーシャンビューを見たければテレビは下に埋め込まれていきますのでご安心を、の設計だ。

 しかもその棚を背に大きいソファーが置かれ、これがまた幅もしっかりあって家のやつよりデカい。硬さも絶妙。ソファーに座ってのオーシャンビューはベッドより近くなって、その距離の差は少しだけなのにオーシャンビューは僕の眼前に迫ってくるように感じる。

 窓を開けるとベランダには露天風呂があった。ベッドよりソファーより露天風呂がオーシャンビューに一番近い。「オーシャンビューのオーシャンビューによるオーシャンビューのためのホテル」といっても過言ではない。そう、深い意味はない。オーシャンビューと言いたいだけ。

 冷蔵庫には熱海の地ビール2本、別のタイプの地ビール2本、つぶつぶオレンジ2本、高級そうな水のペットボトル2本、大瓶のシャンパンが1本……。本来二人部屋なので、色々な飲み物が2本ずつ入っている。宿泊料金は二人でも一人でも一緒だったから、一人で泊まる人はきっと珍しいのだろう。だが、何度も書いているように今回の旅の目的は自分との対話だから、ある種、自分が二人で泊まっていると思えばいいのだ。ちなみに、冷蔵庫の中の商品はすべてサービスで無料だという。なんと贅沢な!
 
 
 


漫画:銀シャリ・鰻和弘さん

 部屋の全体像がつかめたので、とりあえず大浴場へ行くことにした。部屋に付いている露天風呂はあとで楽しもう。大浴場はこれがもう、期待を裏切らないすごさで、やはりここでも眩いばかりの大パノラマオーシャンビュー。眩いばかりという表現が決して大げさではないほど、本当に輝いていた。そして、僕の他に誰もいない。嘘やろ? 独り占め? こんなに広い大浴場で奇跡過ぎるやろ。

 しかも外にある露天風呂は水平線と湯船が同じ目線になるように作られていた。海と一体となって、まるで温かい海に浸かっているかのような錯覚に陥るくらいの絶景だ。溶ける。体が溶けていく。一艘の船が横切る様子には、子供のようにはしゃいでしまう。

 部屋に帰ると、さっそくご当地の瓶ビールをあけて、グラスに注ぐ。もうこの一人旅は勝利確定だ。乾いた体にビールが染み渡っていく。麦芽と握手した僕の喉は、パッカーンと音をたてて開いた。

 自分との対話に備えて、この日のために買っておいた哲学系の漫画を読む。

 良い、とても良い。全編考えさせられる。いいぞ、アップデートは良好だ。

 時計を見るとまだ17時。ホテルだけ決めて他はノープランだったから、夕飯のお店を携帯で検索してみる。そのうちの一軒に電話をし、18時過ぎに予約がとれた。順調だ。

 肌寒さを少し感じながら、お店に行くまでの道中にきれいな梅の花を見つけた。風情を感じとれる、俺。ナイスダンディ。

 店のカウンターの端っこに案内される。一人旅には最適なポジションをゲットした。ちょこちょことつまみながら瓶ビールで始まり、焼酎、日本酒などをいただく。ご夫婦で営んでいるそのお店はつかず離れずの心地の良い距離感と接客で、初めて来たとは思えないほど居心地が良かった。

 お刺身が美味しくて、日本酒がすすむ。おでんや、タコのぬた和えなんかも最高で、ぬた和えの美味しさがわかる僕は、やはりナイスダンディ。

 2時間ほどで十分満たされた後、コンビニでつまみとウイスキーを買いホテルへ戻る。二軒目に行くことも考えたが、なんといっても今回は価値観アップデート旅なのだ。まっすぐ帰ろう。

 部屋に戻るとすぐ、前日に無印良品で買っておいたシンプルなノートと書きやすそうなボールペンを、スーパー最強ソファーの前にあるオシャレなテーブルの上に広げる。あのせり上がるテレビには目もくれず、電源さえ入れていない。この静寂の中で自問自答し、考えを巡らせながらこれまでの価値観を見直すためにここに来たのだから。

 シャンパンが冷蔵庫にあるのを思い出し、自分ともう一人の自分とで乾杯をした。さしずめ、過去の自分とこれからの自分との乾杯といったところか。その会話の中で気づいたこと、これからの展望、これまでの価値観、アップデートが必要な理由など、脳内に浮かんだ疑問や自分なりに出した結論などをとにかく、とにかくひたすらに書いていく。いいぞ、いいぞ!

 露天風呂、美味しいお酒、素晴らしい景色を前に、都会のしがらみから解放された僕は徐々に自分の心の内を開いていく。ボールペンを握る手に熱がこもるのが自分でもわかる。ここに来てよかった。一人旅ってめっちゃええやん。
 
 
 
 ハッと気がつくと、時計の針は午前3時を指していた。記憶がない……。いつの間にか寝てしまったようだ。ソファーがあまりにも良すぎた……。お酒があまりにも美味しすぎた……。飲みすぎた……。心の内を開きすぎた……。解放されすぎた……。

 そうだ、ノートだ。ノートを覗き込むと、自分との対話の記録は、たった2ページだけだった。少なっ! ソファーで寝てしまうなんて、もはやそれは家と同じだ。何してんねん、俺。アップデートのゴールデンタイムをみすみす逃した。

 落胆しながらも、3時から大好きな海外のサッカーの試合があったので、この時間に起きていることも普段はないし観ておこうかということで、タブレットを開きWi-Fiをつないでその試合を観ることにした。

 朝5時までしっかり見届けて、6時から開く大浴場に時間きっかりに向かった。海と一体化した露天風呂に浸かりながら、朝日が昇る絶景を見る。

 部屋に戻ると、あんなにいいベッドで全く寝ないのももったいないと、2時間ほどベッドで寝る。そして部屋についている露天風呂にも慌ただしく浸かり、つぶつぶオレンジジュースを流し込む。残りの地ビールとつぶつぶオレンジジュース、良さげな水をリュックに詰め込んだ。サービスだから……と、高級ホテルに泊まる人間にあまり似つかわしくない貧乏性を発動してしまう、俺。ノットダンディ。行きよりかなり重たいパンパンのリュックを背負い、お昼前に熱海駅へ向かった。
 
 
 
 人はたった一日では変われない。でも、なんとかアップデートしようとして自分なりに書いた2ページを見返すと、未来が少しだけ拓けた気持ちになれたから不思議だ。熱海一人旅の俺、少しはナイスダンディだったかもしれない。

(銀シャリ橋本直さんのエッセイの連載は毎月第3金曜日にブックバンで公開。橋本さんの“ツッコミ中毒”な日々が綴られます)

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橋本直(はしもと・なお)
1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部を卒業後、2005年に鰻和弘とお笑いコンビ「銀シャリ」を結成し、2016年に「M-1グランプリ」で優勝。現在はテレビやラジオ、劇場を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ている。

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