細かいところが気になりすぎて―ツッコミ中毒者の日々―
2023/09/15

お笑い芸人を目指すのが恥ずかしかった銀シャリ・橋本が語った、養成所に入るまでの葛藤

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人気お笑いコンビ・銀シャリ橋本直さんが文芸誌「波」で綴るのは、どうしてもツッコまずにはいられない、そんな“ツッコミ中毒”な日々。第11回のテーマは「僕とテレビとお笑い芸人」です。相方・鰻和弘さんの4コマ漫画もあわせてお楽しみください。

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 今年の9月で43歳になる。大学4年生の時に吉本のお笑い養成所に入って、かれこれ芸歴20年だ。

 小さい頃からテレビが大好きで、テレビっ子もテレビっ子。本当にテレビから生まれてきたんじゃないかというくらいのテレビっ子だ。

 小学校低学年の頃など、学校が休みの日曜日は朝5時に起き、家族全員が寝ている中、誰もいないリビングのソファに寝っ転がりながら、ルールも知らないのに囲碁の番組を見て、ラジコンを走らせている番組を見て、よくわからない政治のニュースを見て、8時台になればしめたもので特撮ものを見て、その後のアニメも見て、家族がそろそろ起きてきたところで「笑っていいとも!増刊号」が始まり、お昼過ぎには「スーパーJOCKEY」を見て、14時過ぎるとゴルフ番組を見たいおとんにチャンネル権が移って一旦終了。

 外に遊びに行き、帰ってくれば「大相撲中継」「笑点」「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」「キテレツ大百科」「世界名作劇場」「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」と怒濤の見たい番組のラッシュ。そして「日曜洋画劇場」でそんな一日を締めくくるのだ(余談だが、土曜日の「ゴールデン洋画劇場」のオープニングが大好きだった。シンプルで洒落たアニメと曲には、映画のワクワクが全部詰まっていた)。

 とにかく、寝る直前までずっとテレビを見ていた。今、この文章を書きながら、めちゃくちゃテンションが上がっている自分がいることに気が付く。そこには番組から番組への黄金のリレーとも言える流れがあって、画面の前から僕はひと時も離れたくなかった。

 それは日曜日だけでなくて、金曜日に学校が終わり習い事へ行って帰宅してからもそうだったし、土曜日のお昼に学校から帰ってきた後もそうだった。

 三度の飯よりテレビが好きだったから、ビデオが家にやって来た日には、腰が抜けた。

 最初は、「子供は触ったらアカン」代物で、録画を間違って消してしまったら終わりなので、録りたい時はおかんに頼んだりしていた。テレビの前にいないときの「テレビ」も録画しておけるなんて、「こんなもん、タイムマシーンやん!」と同じくビデオを手に入れた友達と騒ぎ合った。

 当時、一話でも見逃したら一大事だったのが連続ドラマだ。「誰かこの中に、お医者さんはいませんか?」と、パニック映画さながらに、録画している人がいないかクラス中を聞き回った。

 TVerをはじめ、見逃した番組を見られる方法がいくつもある今では信じられないが、会社員の方が月9を見るために走って家に帰っていた時代。それだけテレビが凄かった時代でもある。

 母方の祖父がテレビ好きで、カラーテレビの良いやつをその町で一番早く購入し、近所の人がこぞって見に来ていたらしい。祖父の家にあった、画面の真横についているチャンネルをカチカチ回すタイプも好きで、意味もなくいつも回していた覚えがある。

 そんな祖父の娘であるおかんもテレビっ子だったから、僕はテレビっ子のテレビっ子、つまりテレビっ孫になる。「テレビッソン」とお呼びください。
 
 
 
 息をするようにテレビを見ながら、徐々に、しかし確実に、どっぷりとお笑いの魅力に取り憑かれていった。たけしさん、さんまさん、タモリさん、ダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさん、とんねるずさん……。挙げたらキリがないくらいに、ありとあらゆるお笑い芸人さんにどんどん魅せられていった。

 だから今僕は、自分がお笑いの世界にいることが不思議で仕方ない。単純に信じられない。別の世界線にいるみたいで、「転生したらお笑い芸人だった件」なのだ。まさか現世で転生もせずにたどり着けるとは思わなかった。

 お笑い芸人になるためというよりも、むしろお笑い芸人をあきらめるために僕は養成所に入ったと言っても過言ではないからだ。

 テレビの中にいる人たちの中で、特にお笑い芸人さんが一番格好良く見えた。勢いもパワーも凄かったし、一番ふざけてバカをやっているのに、アイドルや歌手、俳優さんたちを手のひらの上で転がしている姿に、しびれた。でもそれはあくまで憧れで、なりたいなんて一ミリも思わなかった。それが突如ひょっこりと顔を出すことになる。

 中学から大学までエスカレーター式の学校に通っていて、普段のテストでは大学進学への条件はクリアしていたのだが、高校3年生の時、3回行われる英語判定テストで、2回連続赤点を取ってしまった。3回ともに赤点の場合、有無を言わせず、大学進学の道は閉ざされる。

 3回目はさすがに落ちない、問題のレベルも下がっている、なんて噂もささやかれたが、万が一にも落ちたら本当に終わりで、大学に行けず世間に放り出される。恐怖で震えた。まさに「君たちはどう生きるか」状態だ。

 そんなときに、蓋をしていた感情が蘇る。万が一ダメだったら、お笑い芸人に、なる……?

「どうせなれるわけない」という諦めをお笑いへの強い情熱が凌駕したわけではなく、自分がアホだったがために追い詰められて、逃げるようにすがったお笑いへのロープエスケープ。今振り返っても情けない。幸いにも3回目のテストにはかろうじて合格することができた。再び動き出すエスカレーター。あの時ばかりは、その再起動の音がしっかりと聞こえた。

 無事大学へ進学し、やりたいことも特にないまま、サークルに入るわけでもなく、就職先のことなんて深く考えず、将来役立つスキルを身につけることもせず、バイトしてお金を貯めて自分磨きのために使うわけでもなく、恋愛するというかできるわけもなく、本当に深夜のお笑いの番組ばかり見ていた。過去のお笑い番組も近所のレンタルビデオ屋さんのラインナップを全部借りて見た。

 そうやってあっというまに大学3年になると、周りがみんな就活を始め出す。やりたい仕事がない。ないというかわからなかった、自分が何を仕事にしたいのか……。

 エントリーシートの自己PRなり、長所を書く欄なりが目に飛び込んでくる。ペンが止まり、そして気が付く。自己をPRできるものなんて何もない。本当に自分は3年間何もやってこなかったんだと絶望した。『スラムダンク』でいうところの、メガネ君の逆状態。陵南の田岡監督に「あいつは3年間がんばれなかった男なんだ、侮ってよかった」と言われるだろうほどに。

 人見知りで保守的で失敗を恐れ倒してきた僕は、何ひとつ自分からチャレンジしなかった。ぬくぬくと同じような毎日を繰り返していた。怠惰だ。すごい字面やな「怠惰」って。「怠惰を抱いた」と回文にしたところで特に何も起こらない。高校3年のあの時から、僕は何も変わっておらず、喉元過ぎれば熱さを忘れていた。いっそあの時に喉を火傷しておけばよかったのかもしれない。

 ただ高校年時の超絶ネガティブな僕が、お笑いへの道をまがりなりにも一回でも妄想していたのがデカかっ

た。再びお笑いへのロープエスケープを選んだ。でも、今回はその先に続くエスカレーターはない。正真正銘の、DEAD OR ALIVEだ。

 決心はしたものの、恥ずかしさから、「お笑い芸人になりたい」とは全くもって言い出せなかった。「お笑い芸人になりたい」とはつまり、「自分は面白い人間だ」という自信と自覚があることを、諸手を挙げて宣言しているようなもの。恥ずかしい、恥ずかしすぎる。養成所に一人で行く勇気などなく、お笑いが好きそうな友達の三人くらいには声をかけたと思う。もはや恥ずかしすぎて記憶すらなくなりかけているが、「え! そんなん考えてるんや~!?ごめん、俺新聞記者になりたいねん」と言った一人だけは鮮明に覚えている。新聞記者になりたい人間に「お笑い芸人にならないか」と声をかけてしまった。あまりにもミスマッチで、ますます恥ずかしい。ただ、向こうも「新聞記者になりたい」と言い放った自分自身に少し照れていたようだった。


漫画:銀シャリ・鰻和弘さん

 僕はここで腹を括る、もう一人で行くしかないと。なぜ急に勇猛果敢になれたのかいまだに謎である。人生で発揮した唯一の勇気。どんなに恥ずかしくても、お笑い芸人の門を叩けば芸人になれる可能性はゼロではなくなる。

 それと同時に、テレビが大好きなことに変わりはないから、仮にお笑いの道に進まなくても、テレビのバラエティの番組は絶対目に入ってくる。仕事で辛いことがあった時、きっと思わずにはいられないだろう。

「あ~俺、お笑い芸人やってたらどうなってたんかなぁ~、もしかしたらテレビ出られてたかもなぁ~」

 エスケープからのエスケープ。現状を棚に上げ、あったかもしれないもうひとつの世界線に逃げ続ける、どうしようもない言い訳エスケープピンボールになってしまう。自分を縛り、現状を呪う思考ほど恐ろしいものはない。

 だから、お笑いを諦めきるためにお笑いの道に進むことを選んだのだ。

 就職して働いて、嫌なことやミスがあったりして帰ってきてテレビをつけても、「この人達は選ばれしお笑いの戦士なのだ。才能と努力する力の両方を兼ね備え、この魔法の箱から『面白い』をお届けしているんだ。自分は目指したけど、お笑い芸人になれなかった。すごい人達だ。たくさん笑かしてもらって明日から俺も自分の仕事を頑張ろう!」、こう思うために養成所に入ったのだ。

 そんな僕だが、今どうにかこうにかテレビに出させてもらっている。でも、僕がその「才能と努力する力を兼ね備えた選ばれしお笑いの戦士」だとは全く思えない。多分この先も同じだろう。

 ただ、その最初の扉をこじ開けた勇気だけには、談志師匠ばりの「褒めてやる!」を差し上げたい。

 そういえば、あの時誘ったあいつは、幻の相方は、ちゃんと新聞記者になっていた。

(銀シャリ橋本直さんのエッセイの連載は毎月第3金曜日にブックバンで公開。橋本さんの“ツッコミ中毒”な日々が綴られます)

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橋本直(はしもと・なお)
1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部を卒業後、2005年に鰻和弘とお笑いコンビ「銀シャリ」を結成し、2016年に「M-1グランプリ」で優勝。現在はテレビやラジオ、劇場を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ている。

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