細かいところが気になりすぎて―ツッコミ中毒者の日々―
2022/10/19

銀シャリ橋本、コンビニで鬼の形相 少年をギョッとさせたそのワケとは

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

人気お笑いコンビ・銀シャリ橋本直さんが文芸誌「波」で綴るのは、どうしてもツッコまずにはいられない、そんな“ツッコミ中毒”な日々。今回のテーマは「マスクの紐」です。相方・鰻和弘さんの4コマ漫画もあわせてお楽しみください

 ***

 仕事で大阪に泊まる時はだいたい相方と同じホテルに宿泊している。そして次の日の朝、一緒にタクシーに乗って現場に向かうのがお決まりのパターンだ。

 その日は朝起きて、サッカーくじのtotoを買い忘れていたことに気がついた。僕がマークシートに予想を記入していた回は、今日が締め切りだったのだ。

 少し早めにチェックアウトを済ませ、ホテル近くのtoto売り場を探す。

 グーグルマップに「toto」と入力すると、地図の赤いピンが指し示したのはトイレの「TOTO」の営業所だった。

「ここでっせ~」やないのよ。それ懸念してしっかり小文字で入力したこちらの配慮を無下にすなよ、と心の中で軽く舌打ちをする。

 もう一度落ち着いて「toto販売店」の方をタップすると、めちゃくちゃ近くに売り場があったのでスムーズに購入できた。思いの外スムーズもスムーズで、形容詞にするならスムージーもスムージー過ぎてまだ相方との待ち合わせまで時間があったので、ホテル横の邪魔にならなさそうな路地裏で昨日の深夜に決まったサッカーW杯の対戦国を携帯でチェックしながら待機する。

 風がまだ少し冷たかったが心地よく、嫌いじゃない時間だ。もはや凪。あと10分を無の感情で待つだけで、これがエアポケットってやつか。まだ少し眠い。あくびが出る。

「プチン」

 え! なにが起きた? 突然の結構デカめの音に、一瞬何が起こったかわからなかった。アキレス腱が切れたら大きい音がすると聞いたことがあるけれど、あくびをしただけでなぜこんな音がするのか。顔の筋肉の細かい部位の名称など知らないが、頬レス腱みたいな、そんな部分が切れたのか?

 だがすぐに状況を理解する。マスクの紐が切れたのだ。

「うそやん、勘弁してくれよ……」

 外してみると、四角いマスクの左上の紐が切れている。紐についていえば、どの箇所が切れても刹那に存在価値を失うのがマスクというもの。幸いにもまだ右下の紐だったのでかろうじて大丈夫でした、みたいな奇跡など起きない。こんなにも脆いものなのか。

 4点で支えているわけではなく、2点で作られたアーチが耳に引っかかっているに過ぎないという事実を突きつけられる。

 左上の紐が切れて垂れ下がったために、大女優のメガネチェーンみたいだ。または、オシャレな人が片一方しか留めずに着こなすオーバーオール。肌寒くなってきた頃の「冷やし中華はじめました」の貼り紙くらいめくれている。ほぼ左バッターのヘルメット状態。最悪や。終わった……。

 絶望しかけ、ふと、大阪に泊まる時はいつも7枚入りのマスクを常備していたことを思い出す。リュックからマスクの袋を取り出し、ベリベリと糊の部分を剥がして開けると、袋の裏地の銀色の世界が広がる。マスクが一枚も入っていない。

「今紐が切れたのが、ラス1やったんかい! ほな袋自体捨てとけよ!!」と自分に自分でキレる。

 マスクをつけてないと、なんだか裸にさせられた気分だ。恥ずかしいしパニック状態に陥る。そして裸同様、ないとしっかり顔が寒い。ホテルのロビーに戻ってマスクを一枚もらえないかお願いしようかとも思ったが、やはり恥ずかしいので断念した。

「そうだ コンビニ、行こう。」

 あまりにもパニックになり過ぎて、あまりにも有名な京都観光のキャッチコピーのようなシンプルな決断がかなり遅れてしまった。道路を渡った先にあるコンビニが、まるでオアシスに見えた。だが問題はどうやって「裸」でコンビニに行くかだ。

 とはいっても、厳密には裸ではない。紐が切れているが、マスクはある。破れているが、服はあるのだ。

 幸いリュックだったので両手は空いている。けれど、紐が切れたマスクの左側を左手でしっかりと押さえながらマスクを買いに行くのは恥ずかしい……という思いにかられてしまった。親知らず抜きたてか、みたいな。この期に及んでなんのプライドやねん、と自分で自分がつくづく面倒くさい。

 結果、マスクを噛むことにした。

 マスクをした状態のまま、上下の前歯でマスクの中心部を噛むというスタイルでいくことにしたのだ。噛むことによってマスク全体を支え、マスクを着けている風を装う。「オブラート禰豆子」作戦、ともいえる。

 今思うとどう考えてもこちらの作戦の方が恥ずかしいはずなのに、なぜ手で押さえるより噛むという作戦を選んでしまったのか、まったくもって謎である。人なんてそんなもんさ。

「二択をまちがったっていいじゃないか にんげんだもの」

 そんなふうに、しっかりと噛んだままコンビニへ入った。すぐにマスクの売っていそうな棚を見るが、マスクがない。このご時世に、マスクがない? 焦りながら探すと、マスクコーナーが少し奥に設けられていた。手前でいいやん、と思いながらマスクを選ぶ。スモールだのラージサイズだの、蒸れにくいだの呼吸しやすいだの、白だのピンクだので、ざっと10種類以上のマスクがあった。多すぎる。どうりで少し奥になるわけだ。これだけ種類があれば専用のコーナーが設けられるはずだ。最速すぎる伏線回収がなされたが、今度はどれにしようか迷ってしまう。

 母親と一緒に入店してきた男の子が僕の顔を凝視していた。そりゃそうだろう。冷静に考えたら表情筋はつながっているので、マスクを内側から噛んでいると目が見開いて鬼の形相になっているはずだ。いくら顔の上半分しか見えてないとはいえ、そんな顔をしている大人がいたら見てしまうよね。鬼の形相のまま少年に微笑みかけたら、目があったことにびっくりしたのか逃げて行った。

 一番無難な白いマスクを手に取りレジへ向かうと、店員さんに「袋いりますか?」と聞かれた。しまった、喋ることを想定していなかった。マスクの内側の噛み合わさっている上下の歯の奥の舌を巧みに動かして、

「は、はいひゃうふです」

 とかろうじてだが、「大丈夫です」が伝わった。


漫画:銀シャリ・鰻和弘さん

 すぐに入り口横の狭いイートインスペースで7枚入りのマスクを開封する。開封する際に下を向いたら左上の紐が垂れていたことに初めて気がついた。せめてマスクの内側にしまっておけばよかったのだが、そこまで気が回らなかった。

 そして一枚一枚包装されているマスクのビニールを破こうとした時、ガラス越しに自分の顔が見えた。

「えっ、こんなに噛み締めてるのバレバレな感じやったん?」

 外から見たらそんなにバレていないと思っていた。少なからず、もっとナチュラルに「普通にマスクしてる風」を装えていると思っていた。完全犯罪ならずとも、まあまあ逃げ切れる範囲内だと思っていたのに。

 いやもう古畑や金田一じゃなくても、誰でも謎が解けるやつやん。はじめから気がついてたやつやん。恥ずかしい。実に恥ずかしい。これは恥ずかしい。

 きっと店員さんも、

「マスクの紐切れて無理矢理マスク噛んでるやつが目見開いて急いでマスク買いに来てるわ」

と思ったことだろう。うんこ漏らしたやつが内股でコンビニにパンツ買いに来てるのと一緒やん。あからさまやん、バレバレやん。

 急にめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

 マスクの紐が切れてから、ほんの5分くらいの出来事だったが、サスペンス映画を見終わった時と同じくらいの疲労感を抱いた。

 新たなマスクを装着して、相方と合流した。もちろん、「うんこ漏らしてませんよ~」と、何食わぬ顔を装ってだ。君が寝ている間に事件はあっという間に解決したのだよ。安心してまたお眠り……。

 そうして、僕ら2人が乗り込んだタクシーは、ちょうど事件現場のコンビニの横を、何事もなかったかのようにゆっくりと通り過ぎて行った。

 ***

橋本直(はしもと・なお)
1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部を卒業後、2005年に鰻和弘とお笑いコンビ「銀シャリ」を結成し、2016年に「M-1グランプリ」で優勝。現在はテレビやラジオ、劇場を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ている。

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

連載記事