いとうせいこう 両義――『硬きこと水のごとし』閻連科

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硬きこと水のごとし

『硬きこと水のごとし』

著者
閻 連科 [著]/谷川 毅 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784309207360
発売日
2017/12/26
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

両義

[レビュアー] いとうせいこう

 閻連科の弾圧を恐れない姿と、常に失わないユーモア、そして清濁併せ吞んだ世界観は憧れるほどで、新作が出ればすぐに読むし、こんな風に書けたらと毎度思う。
 今回の新刊は、これまで訳された作品のうち、きわめて初期に書かれたもので、なるほどここから『愉楽』になり、『人民に奉仕する』や『炸裂志』が生まれたのかと、発想や文体や物語の進行の最も根源的な部分に触れる思いで読んだ。
 文化大革命が中国全土を荒らしていた頃、主人公・は軍隊から村に帰り、そこで人妻である夏紅梅に圧倒的な密度のひとめぼれをする。同時に高は村内で旧式の文化を破壊し、文革に身を捧げていわば出世がしたい。その高に人妻・夏紅梅は同調し、人目をしのんで献身的な工作を続ける。
 献身的という態度のうちには、性的な挑発も含まれる。いや、むしろ夏紅梅は率先して高の前で裸体を見せ、踊り、何度も性交を迫る。なかなかうまくいかないのは高愛軍の方で、途中で萎えてしまったり邪魔が入ったりで、彼ら同志の交わりは時間を要する。
 いかにも閻連科作品なのは、彼らが燃えたぎるような性交に至るのは、革命歌が地域の拡声器から流れてくる時であることで、当然これはいくら文革側の宣伝活動だとはいえ、中国共産党的に「不敬」のきわみ。しかし二人の愛の成就は狂おしく美しい描写でこれでもかこれでもかと長く書かれ、タブーであるからこそ読者を刺激する仕掛けだ。
 つまり、対幻想と共同幻想が逆立したまま、一点にあらわれるのだが、二人にとってなんの矛盾もない。そして読者だけがハラハラする。構造としてはまさに純愛小説の骨頂だけれど、その政治性、猥褻性が両方ともにきわめて高いだけに小説ならではのアイロニーが際立つ。
『人民に奉仕する』でもこうした「愛とアイロニー」は重要な骨組みだった。上官の妻に誘惑され、激しく交わる二人は毛沢東の言葉「人民に奉仕する」という言葉のかげに隠れる。『愉楽』であれば、障碍を持つ者ばかりが集まる山奥の村が、やがて全土に名をとどろかせるエンターテインメント集団を形成するという価値転換の構図は皮肉的である。
 ただし、閻連科作品で同時に味わえるのは、そこにあるアイロニーがどれだけ意地の悪いものであっても、必ずユーモアという愛に包まれているという快感だ。悲劇へと突き進まざるを得ない者に対して、作者は深い同情を示し、理解し、読者にもそうさせた上でのみ、彼らを残酷に断罪する。それは今あるこの世界をありのままに示し、糾弾し、同時に微笑むことである。
 また閻作品には「歌」が印象的に出てくることが多いが、今作ではあらゆる場所で毛沢東を中心とした人々の漢詩が引用される。もちろん間違った思想の持ち主である高愛軍が引用するから、それは高らかに謳われるようでいておとしめられてもいるわけだ。
 こうした両義性の魅力は閻作品の最も素晴らしいもののひとつで、両義的であるからこそ政治的弾圧をかろうじてくぐり抜けてもいる。その小説的なふるまいもまた、我々が今まさに学ばねばならない事柄に違いない。

河出書房新社 文藝
2018年夏号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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