『フランケンシュタイン』
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アルプスの景観と「おぞましい生き物」
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
ヨーロッパの文化史に「風景の発見」がある。
現代では「風景」や「風景画」は当り前の言葉になっているが、ヨーロッパでは長く、山や河、田園を美しいと感じる視点はなかった。アルプスのような峨々(がが)たる山は、恐怖や嫌悪の対象でしかなかった。
十八世紀になって、それまで忌避されていたアルプスを美しい、崇高な山と見る視点が生まれた。「風景の発見」である。
フランス文学者の石川美子さんによれば、その「風景の発見者」はルソーだという(『旅のエクリチュール』白水社、二〇〇〇年)。
ルソーは小説「新エロイーズ」のなかで、はじめて「高い山々の美しさと、それが人間にもたらす精神的な高揚とをうたいあげた」。
そのルソーの影響でゲーテをはじめ多くの読者がスイスを訪れた。アルプスの流行が進み、やがて「登山(アルピニスム)」という言葉も生まれた。
石川美子さんによればメアリー・シェリー(一七九七――一八五一)の『フランケンシュタイン』もこうしたアルプスの発見の影響を受けているという。
確かによく知られているように、この小説はイギリス人のメアリーが夫やバイロンらとスイスに滞在中に書かれている。
メアリーは、執筆中、いつもアルプスの「美しい」風景に心を奪われていた。
怪物を作り出すフランケンシュタイン博士はスイスの出身で、アルプスの山々を見て育っている。
博士は故郷のモンブランを見ると、その美しさに感動を覚える。
そして、思いがけず「おぞましい生き物」を作って絶望したフランケンシュタインの心を慰さめてくれるのはアルプスの崇高で雄大な山々である。
明らかに風景を見る目が変ってきている。
かつては恐怖の対象であったアルプスの山々を近代の科学者は美しいと感じる。博士はルソーから始まった「風景の発見」を受け継いでいる。