国民的辞書・広辞苑 その編者の軌跡

レビュー

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あの国民的辞書はいかなる人が編んだのか

[レビュアー] 碓井広義(上智大学文学部新聞学科教授)

 新村出(しんむらいづる)は『広辞苑』(岩波書店)の編者として知られている。しかしその名前はともかく、どのような人物だったのかを知る人は少ないのではないだろうか。本書は孫でフリーエディターの著者が記した、新村に関する初の本格評伝だ。

 大きく三部構成となっており、まず「新村出の生涯」の章でその歩みを知る。1876(明治9)年生まれの新村は元々言語学者だった。東大助教授を経て京大教授。キリシタン語学や語源語史の研究で実績を残している。また25年にわたって京大図書館長を務め、学問や教育に対するリベラルな姿勢から利用者の自由度を高めていった。

 次の「真説『広辞苑』物語」では、あの国民的辞書が編まれた過程をたどる。『広辞苑』第一版の刊行は1955(昭和30)年だが、新村はそれ以前に『辞苑』(博文館、35年)という名の国語辞典の編集に携わっていた。その改訂版に着手していたところ、戦局の悪化で出版が不可能となる。戦火を免れた校正刷をもとに制作されたのが『広辞苑』だ。

 もちろん辞書作りは一人ではできない。広範なジャンルの執筆者たちの協力、岩波書店の人々の支援、そして新村の次男でフランス文学者、言語学者だった猛の存在も大きい。著者は残された日記や膨大な原稿などを踏まえ、新村の人物像と仕事の実相を明らかにしていく。浮かび上がってくるのは権威ある学者というより、「言葉」を真摯に愛し続けた一人の学徒の姿だ。

 最後の「交友録」には、親しかった歌人・川田順が登場する。川田は弟子だった女性との「老いらくの恋」で騒がれた人物。しかも新村にとって初恋の人だった徳川慶喜の娘・国子が結婚後、不倫関係に陥った相手が川田だったのだ。孫だからこそ率直に書けるエピソードである。

 新村が亡くなったのは67年8月。没後50年の節目に上梓された本書で『広辞苑』への親近感が増した。

新潮社 週刊新潮
2017年10月5日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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