『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
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【『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』最終回記念対談】ブレイディみかこ×坂上香/「ささいな言葉」が奇跡を起こす
[文] 新潮社
劇的な変化の瞬間に立ち会う
ブレイディ 人が変わる瞬間に立ち会うというのは簡単ではないと思います。ましてや刑務所の中に初めてカメラを入れ、映画を撮るわけですからいろいろ苦労されたでしょう。
坂上 まずTCの参加者全員に、カメラなしでインタビューさせてもらい、その中から「成長の過程を経て言語化できているひと」「大きな葛藤を抱えているひと」「入ってきたばかりのひと」といった具合に、さまざまな段階のひとを選びました。顔が出せないので、罪状や刑期、生い立ちなどになるべくバリエーションが出るように気をつけながら、定期的に10人くらい撮影を続けさせてもらいました。
撮影できるのはTCプログラムとインタビューで、両方とも刑務官が必ず立ち会います。インタビューの依頼も彼らを通して行うので、そのスケジューリングがけっこう大変でした。プログラムとインタビューの時間がバッティングして選択を迫られることもよくありましたね。刑務所側の判断で許可が下りなかったり、撮影が中断される可能性もあるとも言われており、実際、撮り続けていたひとが突然懲罰房に入れられ、主人公がいなくなってしまうこともありました。その一方、インタビューを愉しみにしてくれているような印象も。
もどかしいこともありました。プログラムの中では言えなかったこと、話しきれなかったことは夕食後から就寝までの休憩時間に喋りあうのですが、それが大きな変化を呼び込むこともある。なのに、その現場の撮影には許可がおりなかった。
ブレイディ 人間の変化は予定調和ではありえないですもんね。
坂上 お金しか信じられないと言っていた健太郎にインタビューを申し込んだのは、実は撮影の後半でした。この人には感情というものがあるのだろうか、ロボットではなかろうかと思うほど能面のような顔をしていて、TCで他の受刑者が離婚や暴力の話をしたときも「うらやましい。僕の家庭にはありませんでしたから」と言ってギョッとさせた彼が、TCに参加して1年くらい経ってから驚くほど変わっていったのです。この先にもっと大きな変化が起こると確信してあわてて撮影を申請、その2ヵ月後から撮影を開始してなんとか変化の軌跡をカメラに収めることができました。
ブレイディ そうでしたか!
坂上 そうやってなんとか撮影を終えて編集に入っても、最後の最後まで「これ、劇場公開できるのかな」という思いが付きまといました。映画は観てもらえなければ意味がない。1・5倍の尺で中間試写を20回以上やって、学生や専門家などさまざまなひとから感想をもらって編集を進めていったんです。
刑務所が舞台ではあるけれど、刑務所の新しい取り組みを紹介するだけの映像にはしたくありませんでした。また、犯罪者と呼ばれるひとが主人公ですが、彼らだけの話でもありません。なにもTCという形を取らなくても、他人と関わって、誰かにとっての自分になることはできる。あるいは自分にとっての誰かを見つけることもできる。この映画を自分事として観てもらえたら、と願っています。
ブレイディ 坂上さんが今、ツイッターでエンパシーの連鎖を広げようとしていることも知っています。
坂上 暴力の一歩手前にいたひとが、誰かの言葉に触れて踏みとどまることがあると思うんです。ささいな言葉が大事。これからもそういう作品を作っていきたいですし、この映画をつくれたのだから不可能なことはないと思っています。
ブレイディ わたしもエンパシーを深掘りしてみようと思っています。いま書いている中で見つけたものが次の本に続いていくので、すこし先のこともわかりませんが、いろんな書き方でわたしもエンパシーの連鎖を広げていきたいです。