非常事態宣言が続く日々で、暖冬ですが、冬ごもり! 読書で寒さも吹き飛ばしましょう!ニューエンタメ書評!
レビュー
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ニューエンタメ書評
[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)
暖冬と言われながらも、非常事態宣言が続き、家籠もりが続いています。それにもめげず、面白い本を紹介していきます!
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二〇二〇年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、その終息が見通せないまま二〇二一年も非常事態宣言が続いています。
パリで起きた密室殺人を描いたポーの「モルグ街の殺人」には、植民地の拡大でパリに外国人が住むようになり、犯罪への恐れから部屋に鍵を付ける習慣が生まれたという背景があった。このようにミステリは常に時代の変化を的確に捉えてきたが、新型コロナで変容する社会をミステリの伝統である密室ものの手法で切り取ったアンソロジー『ステイホームの密室殺人1』『同2』(共に星海社FICTIONS)も、新鋭からベテランまで一〇人の作家が、それぞれの持ち味を活かし、現在進行形の社会の混乱だけでなく、アフターコロナの世界を舞台にするなどして多彩な密室殺人を描いていた。
暗い年明けであっても、新年であれば何か新しいことに挑戦したくなる。読書の幅を広げるには名作の見本市ともいえるアンソロジーが適しているので続けると、井上雅彦・監修『ダーク・ロマンス』(光文社文庫)は、〈異形コレクション〉シリーズの九年ぶりの復活となる第四九弾である。
少年と家畜として扱われる異形の少女とのボーイ・ミーツ・ガールものの平山夢明「いつか聴こえなくなる唄」、地名と人名をイニシャルにして一九三〇年代のヨーロッパを描く手法が恐怖を増している菊地秀行「魅惑の民」など、このシリーズに欠かせないベテランはもちろん、〈異形コレクション〉を読んで育った若手も、B級ホラー映画の撮影現場で怪異が起こるホラーながら伏線回収が鮮やかな澤村伊智「禍 または2010年代の恐怖映画」などで気を吐いていた。差別と偏見が生み出す社会の分断に着目した作品が多く、ここに現代社会が抱える“闇”があることが実感できるだろう。
山口雅也・総指揮、菊池篤・構成『刑事コロンボの帰還』(二見書房)は、根強いファンがいるアメリカの倒叙ミステリドラマ「刑事コロンボ」の評論、研究と、作品を愛する作家のトリビュート小説という贅沢な二部構成になっている。
佐藤友生の漫画『探偵犬シャードック』の原作を担当した安童夕馬の別名義の樹林伸「殺意のワイン」、〈福家警部補〉シリーズの大倉崇裕による「ゴールデンルーキー」、『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』の降田天による「奪われた結末」など、倒叙ミステリの傑作を発表している作家が、「刑事コロンボ」の世界を再現しているだけに収録作は力作ばかり。各作品には「刑事コロンボ」へのオマージュが導入されており、それを探しながら読むのも一興だ。
新年らしく明るい話題ということで、次は今後の活躍が期待される新人、新鋭の作品をみていきたい。
そえだ信『地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険』(早川書房)は、第一〇回アガサ・クリスティー賞の受賞作である。タイトルに偽りはなく、探偵役は、交通事故に遭い気が付いたらスマートスピーカー機能付きのロボット掃除機になっていた札幌市にある所轄署の刑事・鈴木勢太である。
ロボット掃除機として目覚めた勢太は、密室状態の部屋で男が殺されているのを発見する。勢太の姉は、DVが原因で賀治野と離婚した直後に不可解な死を遂げていた。娘の朱麗も賀治野に狙われる危険があり、その魔の手から守るため勢太は朱麗のもとへ向かう。これが人間の主人公であれば普通の展開だが、ロボット掃除機だと、扉、段差はもちろん、電気の確保、町中で目撃され怪しまれることも障害になる。これらをロボット掃除機の機能と勢太の知恵で乗り切り、さらに困っている人を助けながら目的地へと進むところは、冒険小説とロードノベル、人情話が渾然一体となった面白さがある。終盤になると、周到に配置された伏線が回収され、二つの殺人事件が合理的に解決されるので本格好きも満足できる。
竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』(ハヤカワ文庫JA)は、第八回ハヤカワSFコンテストの優秀作。借金がかさみ犯罪組織に捕まったAI技術者の三ノ瀬は、フリーの犯罪者で映画マニアの五嶋に救われ、ビッグデータと武装ドローンで治安を守るシステムに守られた完全自動の現金輸送車を襲撃する計画に参加させられる。著者はAI技術の解説を物語の背景に留め、三ノ瀬たちが、どのような準備をし、どのようにセキュリティーの穴を突き、どのように計画実行中のイレギュラーな事態に対処するのかなどをスピーディーに描くハリウッド映画のようなケイパー(強奪)ものに仕上げており、SFが苦手でも戸惑うことはあるまい。三ノ瀬が狙う保安システムを作ったのは天才と名高い元上司や元同僚。それに落ちこぼれの三ノ瀬が挑むだけに、より痛快さが増している。作中には情報化社会と個人情報保護の関係など、アクチュアルなテーマがさりげなくちりばめられており、エンターテインメント性とテーマのバランスも絶妙だ。
松下隆一『羅城門に啼く』(新潮社)は、第一回京都文学賞の受賞作である。
両親を知らず平安京の最下層で育ったイチは、仲間と盗みを働いて生きてきた。油商人の家に押し入ったイチたちは、主人やその妻を斬るが捕まってしまう。仲間の裏切りで斬首されることになったイチだが、空也上人に救われる。空也上人のもとで再生の道を模索するイチだが、遊女になった油商人の娘と出会ったことで、さらなる運命の変転に見舞われる。
貧富の差が広がり、疫病の蔓延が貧しい人たちを苦しめている平安京が、あまりに現代と似ているだけに、社会の混乱や自身の罪によりイチが転落する物語が身につまされるのではないか。救いのない物語だけに、負の連鎖から抜け出す道筋を示したラストは、考えさせられる。
一九三〇年代のソ連と思われる全体主義国家を舞台に、監視社会の恐怖に切り込んだ清水杜氏彦『少女モモのながい逃亡』(双葉社)も、救いのない物語である。
国家の主導で進められた集団農場によって、モモの暮らす村は疲弊した。モモは、家族の唯一の生き残りだった弟が死んだのを機に、村を捨て都市に向かう。旅の途中で出会った少年ユーリと都市に着いたモモだが、仕事はなく盗みを働いて何とか暮らしていた。そんななか警察に捕まったモモは、社会の中にまぎれて国家の敵を密告する新たな仕事を与えられる。
貧困と閉塞感が若者を絶望させ、国家が国民を監視、管理したいという欲望を持っていることは、本書に出てくる国家の特殊事情ではなく、現代の日本とも無縁ではない。そのため作中のディストピアを、他人事と考えるのは危うい。
佐藤巖太郎の三冊目の単著『伊達女』(PHP研究所)は、伊達政宗に関係する五人の女性を描く連作集である。
伊達家の正史は、政宗と実母・義姫の仲が悪かったとしているが、現存する政宗の書簡からは母子の親密な関係がうかがえる。「鬼子母──母・義姫」は、この矛盾を合理的に説明しており歴史ミステリとして秀逸である。伊達家を潰す機会をうかがう秀吉に対し、妻の愛姫が限られた権限の中で政宗をサポートしようとする「濡れ衣──妻・愛姫」、政宗の乳母・喜多が、政宗に無断で愛妾を秀吉に譲った真意に迫る「釣鐘花──保姆・片倉喜多」などは、女性の目を通すことで歴史的な事件と有名な武将を従来とは違う角度で切り取っており、読者は今までにない戦国史に触れることになる。
本書の女性たちは、結婚すると男と同じ仕事ができなくなる現実、男子を生まなければならないプレッシャーなどに直面しており、特に女性の読者は共感が大きいように思えた。
河治和香『ニッポンチ! 国芳一門明治浮世絵草紙』(小学館)は、歌川国芳の娘・登鯉を主人公に国芳とその弟子を活写した〈国芳一門浮世絵草紙〉シリーズの後日談で、国芳の弟子たちが新時代の明治をどう生きたかに着目している。
登鯉が早世したため、明治に入り一門を背負うことになった国芳の娘・芳女。天才で外国人にも認められながら死ぬまで奇行を続けた河鍋暁斎。上野戦争の取材で精神を病んだ芳年。新聞の挿絵で人気を集めるも思わぬ理由で転落した芳幾など、国芳の弟子はいずれも波乱の人生を送っている。浮世絵が時代遅れになり、新しい絵の創出に苦労しながらも、馬鹿で下品なことをやり続ける江戸っ子らしさを忘れなかった国芳の弟子たちは、厳しい時代を生きる勇気と共に、伝統の何を残しどこを変えるべきか、そのヒントも与えてくれる。
牧野修『万博聖戦』(ハヤカワ文庫JA)は、一九七〇年の大阪万博を起点に大人と子供の壮大な戦いを描いており、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が好きなら絶対に楽しめる。
大阪万博の前年、中学一年の森贄人(シト)と御厨悟(サドル)は、人間の欲望を肯定しながらルールと秩序を重んじる「オトナ人間」に憑依された大人たちが、逆らう子供たちを矯正しようとしていると気付く。「コドモ軍」が使うQ波という特殊能力を身に付けた二人は、物質的な豊かさの象徴であると同時に、子供たちの夢が詰まった大阪万博が決戦の場になると考え、同級生の美少女・波津乃未明と共に大阪へ向かう。
後半になると、度重なる災害と経済危機を乗り越えたアピールも兼ねて開催される二〇三七年大阪万博が舞台となり、サイバーパンク的な世界で、メンバーが微妙に入れ替わった「オトナ人間」と「コドモ軍」が再戦することになる。
欲望を突き詰めた社会は持つ者と持たざる者の格差を広げ、秩序を重んじる社会はルールを作る支配層とルールに従う一般市民の固定化された階層を生む。貧しい人が貧しいと気付かないまま奴隷のように働く社会を目指す「オトナ人間」と、これに子供らしいアナーキーさで立ち向かう「コドモ軍」の戦いは、「オトナ人間」的な価値観に搾取された子供たちが過去も現在も存在する事実を掘り起こし、子供を不幸にしないためには何が必要かを問い掛けていく。新型コロナの流行で、子供たちを取り巻く環境の悪化が懸念される時期に、本書が発表された意義は大きい。