大矢博子 ジャニ読みブックガイド
2019/03/27

中居正広から東山紀之&中島健人へ 「砂の器」脚色の歴史を振り返る(前編)

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 君色思い、今も眠れない夜の皆さん、こんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、3月28日にヒガシ&ケンティで「砂の器」(フジテレビ)をやると聞いたからには、その前にこれを振り返らないわけにはいかないでしょう! 2回連続でジャニーズ in『砂の器』を深掘りするぞ。

■中居正広・主演!「砂の器」(2004年、TBS)

 原作は、東京都蒲田のバーに男の2人連れがやってきた場面から始まる。翌日早朝、蒲田駅の操車場で死体が見つかり、前夜のバーの客と判明した。連れの男が犯人と目されたが死体の身許がわからず捜査は難航。手がかりは被害者に東北弁の訛りがあったこと、そして「カメダは今も相変わらずでしょうね?」という連れの男の言葉だけだった。カメダの謎を解くべく警察は奔走するのだが……。

『砂の器』(新潮文庫)といえば、松本清張の作品の中でも『点と線』『ゼロの焦点』と並んで何度も映像化された代表作である。が、実はこれが問題。1974年に公開された野村芳太郎監督による映画があまりに有名なため、この映画のあらすじが『砂の器』そのものだと思われがちだ。しかし実は原作を大幅に、本当に大幅に、改変している。原作を読むとびっくりするくらい違う。

 2004年の中居版「砂の器」は、松本清張の小説をドラマ化したというより、1974年の映画をドラマ用に改変した作品と言った方が正しい。ドラマのスタッフロールに「潤色 橋本忍・山田洋次」とあったのをご記憶だろうか。潤色とは物語に手を加えて作り直すという意味で、橋本・山田両氏はくだんの映画の脚本を担当した大御所だ。実際、中居版は構図やセリフ、話の展開、オープニング映像、説明テロップまで、驚くほど映画を踏襲していた。何より、ドラマで使われたピアノ協奏曲「宿命」は映画のアイディアである。原作には登場しない。

 ということで1974年の映画及び2004年の中居版ドラマが原作とどう違うかを簡単にさらっておく。大きな違いは3箇所だ。(1)蒲田操車場での事件以外に原作に登場する複数の死亡事件とそのトリックがすべてカットされていること。(2)原作では犯人は終盤まで判明せず、別の怪しい人物が配置されていること。(3)映画のクライマックスであり最大の感動場面である音楽に乗せての犯人の回想が、原作には存在しないこと。

 え、あの回想シーンがない? そう、これがいちばん大事な改変だ。だって原作ではあの人物はピアニストじゃないんだもん。だからコンサートもしないし、犯人逮捕の場所も違う。詳しくは言えないが、職業を変えたことで原作に登場する他の事件も使えなくなってしまった。脚色ではなく潤色とされる所以である。


イラスト・タテノカズヒロ

■犯人視点にした中居版「砂の器」が原作を補完する

 では映画と中居版ドラマがそっくり同じかというと、そういうわけではない。映画と原作が同じで、ドラマだけが大きく違う点が2箇所ある。(1)犯人を主人公にしたこと、(2)舞台を2004年にしたこと、だ。

 まず(1)について。原作はあくまで刑事が主人公で、ひたすら捜査に歩き、証人を見つけたと思ったらその証人が死亡するという事態が続く。まるで「ガリレオ」のような物理トリックまで出てくる。犯人の登場場面はとても少ないし、犯人の内面がわかるような描写は皆無。何を考えているのか、犯行を後悔してるのかしてないのか、最後までまったく描かれない。これは映画も同じで、原作よりは早く犯人がわかるものの、それでも主人公は丹波哲郎演じる刑事だった。
 
 それを中居版ドラマでは初回から犯人を登場させ、しかも動機の一部までほのめかした。そしてそれ以降、犯人が罪の意識と保身に揺れ動く様をメインに物語を進めたのである。こういうふうに、最初から犯人を明かし、その犯行が暴露されるまでの様子を描くミステリを「倒叙ミステリ」という。刑事コロンボや古畑任三郎で使われた手法だ。

 このやり方には関心した。原作でも映画でも今ひとつ本心が見えなかった犯人の内面が、初めて表に出てきたからだ。犯人視点で描かれたことで、捜査の網がじわじわと自分に迫っていることの恐怖、そしてすべてが明かされたあとでの感情の解放を、私たちは見ることができた。刑事の来訪に平然と答え、送り出してドアを閉めた瞬間に震えだす場面なんて、思わず唸ったね。まったく悪びれなかった原作の犯人も、きっとこうだったのだと思わせてくれた。

 だからこそ、ドラマのあとであらためて原作を読んでほしいのだ。ドラマを見た人なら、原作の犯人の何ということはないセリフや行動のひとつひとつに、その裏にある感情を想像できるはずだから。芥川龍之介に「桃太郎」を鬼の視点で描いた短編があるが、それと同じだ。中居版ドラマ「砂の器」は原作の裏の物語と言っていい。原作『砂の器』に描かれていない部分を補完する物語なのである。

■原作『砂の器』で昭和30年代の社会を読む

 どうも今回のジャニ読みはまどろっこしいなあ、もっと中居くんのあれこれを書いてよ、ってきっと皆さん思ってるよね? でも具体的に書くと原作のネタバレになっちゃうんだもん……。もうこの犯人はすっかり有名になって、今回のヒガシ&ケンティ版でも公式サイトで「犯人」と明記されちゃってるくらいだけど、原作も映像作品もまったく知らない読者が必ずいる以上、うっかり目に入りかねないネット上のコラムで犯人を明かすのは、私には抵抗があるのよ。ということでご勘弁ください。

 さて、原作&映画と中居版ドラマの違い(2)に行こう。舞台が2004年になった。そのため犯人の動機が変わったのだ。犯人の動機は──どこまで書いていいかなあ。昭和に熾烈を極めた謂れなき差別が根底にあった、と言うにとどめておこう。そして1961年刊行の原作と1974年公開の映画では、その動機がとても説得力のあるものだった。原作は回想シーンなしで刑事が一言で説明するだけだけど、それだけでも大きな衝撃を受けるに充分だったのだ。

 しかし、当時の動機は今では成立しなくなった。今の若い読者が原作を読んでもピンと来ないかもしれない(そこに至るにはたいへんな闘いがあったのだが、そこはぜひ原作の動機を確かめた上で、ご自分で調べてみてください)。そこで中居版ドラマは犯人に、別の動機を用意した。ただし謂れなき差別という設定は受け継ぎ、「人が簡単に陥りやすい差別意識こそが、この事件のそもそもの発端」と刑事役の渡辺謙に言わせている。原作のテーマを尊重した、とても工夫された改変だったと思う。まあ、当時の動機は通用しなくなっても他の動機で話が成り立つこと自体、本当はとても悲しいことなんだけども。

 他にも時代が変わったがゆえの改変は随所にある。DNA鑑定が登場するのもそのひとつだし、犯人のとある工作が原作では戦争を利用したのに対し、中居版は実在の災害を用いている。2018年が舞台のヒガシ&ケンティ版でも当然そこは工夫されているから、それについては後編で触れるとしよう。

 何より原作はまだ新幹線も開通していない昭和30年代の話で、今読むと時代小説のようで実に味わい深い。1行目から「国電」や「トリスバー」という若い世代には馴染みのない言葉が登場し、刑事は夜行で出張し、女性への呼びかけが「お雪さん」だったりする。テレビは「贅沢な設備」だ。前述の謂れなき差別も然り。リアルタイムにその時代を描いたものを半世紀以上経って読むのは、現代の作家が過去を舞台に書いた昭和小説とはまったく異なる読書体験になるはず。ぜひお試しいただきたい。

 ところで、原作『砂の器』には、差別問題より松本清張はこっちをメインテーマに据えていたのでは、と思われるもうひとつの主題がある。これがジャニ読みするのにピッタリのテーマなので、それは次回、ヒガシ&ケンティと中居くんを併せて語ることにする。ということで、後編に続くよ。

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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