大矢博子の推し活読書クラブ
2024/02/28

土屋太鳳、佐久間大介、金子ノブアキ出演「マッチング」「あのパターンね」からの「はああっ!?」 気持ちよく騙された! 小説も書いた監督がそれぞれに込めた思いとは

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は怒涛のどんでん返しに翻弄される、この映画だ!

■土屋太鳳、佐久間大介(Snow Man)、金子ノブアキ・出演!「マッチング」(KADOKAWA・2024)


 気持ち悪いさっくん最高、というちょっと何言ってるかわからない感想に浸っている。いやあ、ストーカーの狂気の中にときおり覗かせる愛らしさ、まさに吐夢だ……。

 原作はこの映画の監督であり脚本も手がけた内田英治の『マッチング』(角川ホラー文庫)。映画に合わせて書き下ろされたとのことなので、原作ともノベライズとも少し違う位置付けになるのかな。でもまあ、監督が書いたんだから基本的に小説と映画は同じはずだよね……と思っていたら! これがけっこう違うから驚いた。いや、ストーリーは同じなんだけど小説に登場した大きなエピソードがふたつ、映画ではカットされていたのだ。

 それについては後述するとして、まずはあらすじから紹介しよう。恋愛に奥手なウェディング・プランナーの輪花(土屋太鳳)は、同僚に背中を押されてマッチングアプリに登録した。相性がいいと診断された永山吐夢(佐久間大介)とデートすることになったが、待ち合わせの場所に現れたのは明るいプロフィール写真からは想像もつかない不気味な男。吐夢は輪花をつけまわし、ついに自宅にまで現れる。

 困った輪花は仕事で知り合ったマッチングアプリ開発会社のプログラマー影山(金子ノブアキ)に相談。すると吐夢はあちこちのマッチングアプリでトラブルを起こしている人物だという。一方その頃、巷ではアプリ婚をした夫婦が次々と惨殺されるという事件が起きていた。そして輪花がプランナーとしてかかわったカップルがその犠牲になったのを機に、彼女の周囲でも不穏なできごとが……。

 基本的なストーリー展開は、その結末も含めて小説と映画に違いはない。これね、ある程度この手のサイコサスペンスやミステリに馴染んでる人なら、けっこう早い段階で「こうなんじゃないかな」って見当がつくんじゃないかな。定番といえば定番の展開なのだ。だけどそこで見切ったと思ってはいけない。私は小説を先に読んだが「あー、あのパターンね、はいはい」と上から目線で読み続け、「ほらやっぱりね」とほくそ笑んだあとに「はあああっ!?」とのけぞったからね。それも1度だけじゃなく。

 もちろんどんでん返しについて具体的に触れるわけにはいかないけれど、事件の展開についてのどんでん返しだけではなく、読者(観客)の感情移入先についてもどんでん返しを喰らう、とだけ書いておこう。いやあ、気持ちよく騙された。いや、この場合、気持ち悪く騙されたというべきか。


イラスト・タテノカズヒロ

■小説と映画、ここが違う!

 さて、映画ではカットされた小説だけのエピソードについて。実は小説には、刑事である西山茜の私生活が描かれている。茜もマッチングアプリに登録しており、しかしロクな出会いがない──という設定だ。刑事という職業に食いついてあれこれ訊いてくる人はいるが、恋愛に発展することはない。

 小説では茜が視点人物を務める章もあるため、映画よりずっと茜の解像度が高い。巷を騒がせている残虐なアプリ婚連続殺人事件を捜査しながら、自分もまたアプリに登録しているという二律背反が彼女をぐっと人間らしく見せてくれるのだ。

 もうひとつカットされたエピソードは、影山の上司である和田の一件。職権を乱用してアプリ登録者のやりとりやプロフィールを覗き見している、というのは映画でも描かれたが、小説版にはその先がある。輪花が「吐夢が怪しい」と何度警察に訴えても調べを進めてくれないのは、映画では「はっきりした根拠が必要」と言うにとどまるが、小説は吐夢の捜査に人員を割けない理由がある。それが和田の一件だ。何なのかは小説でどうぞ。

 その他にも、小説にはアプリ婚連続殺人の現場が──というか殺人の様子が事細かに描写されている。映画では殺人そのものは1カ所だけであとは結果だけ見せていたが、小説では殺人に至るまでに奇妙な会話(いやこれがほんと趣味悪い)が交わされるのだ。このあたり、犯人の動機にもつながるのでカットしないでもよかったんじゃないかとも思うが、まあ、映像で見せるにはグロすぎるか。あと、スパイアプリを巡る一件も映画ではカットされてたな。

 とまあ、小説には映画にはないエピソードや場面がいろいろある。監督のインタビューで、小説は「映画よりもさらに情報量を詰め込むことができる」とあるように、映画では語られなかった登場人物の背景も、小説には登場する。映画ではカットされた、殺人犯が現場で行う奇妙な会話についても、実はそこにこそ監督が描きたかったテーマがあるのだと語っている。ということで映画を見た人もあらためて小説を読むと、物語の細部がより明確になるのではないだろうか。

■映像で伝わるもの、小説で伝わるもの

 ストーリーは映画と小説は同じだが小説の方が情報量が多い──だったら小説だけでいいのでは? いや違う。実は映画の方が別の意味で「情報量が多い」ことに、私は映画を見たあとで気付かされたのだ。そして内田監督という人は、やはり映像の人なのだよなあと思ったのである。

 小説を読んでいるとき、違和感があった。たとえば小説には季節描写がほとんど登場しない。「秋雨」「秋晴れ」とあるので秋なのはわかるが、それが伝わるような情景や小道具が出てこないのだ。あるいは街並みであったり、家の中の様子であったりというのも具体的には描かれない。

 これは決して批判しているのではないので誤解なきよう。映像を撮るなら絶対必要になるこれらの風景描写を、監督が考えていないはずがないのだから。ここからは想像になるが、監督はそういった景色は映像で見せられるから、小説では映像で表現できない個々の内面により紙幅を割きたかったのではないか。実際、それらの情景描写がなくても物語のサプライズには関係ないわけだし。

 だから映画を見て初めて、物語の全景が見えたような気がしたのである。森ってこういうのか。××ってこんな場所なのか。吐夢の「ぺたりと張り付いたような笑顔」とはこういうのかとも腑に落ちたし、何より屋上での輪花と吐夢の場面の(それまでの展開を考えればあり得ないような)一瞬の爽やかさときたら! こんな爽やかな場面だとは映像を見るまで思ってなかったよ。

 というわけでぜひとも両方を見比べ、読み比べていただきたい。特に映画のラストはほぼセリフなしで真相が提示されるが、小説ではきっちり言葉で説明されている(動機もちゃんと説明される)ので、どちらが好みか考えてみるのも楽しい。

 いやそれにしても──気持ち悪いさっくん最高、である。アイドルなのに。土屋太鳳さん演じる輪花の挫折や苦しみを経た再生がこの物語の主筋ではあるが、さっくん演じる吐夢の得体の知れなさにすっかり持っていかれた。悪い人なの? ほんとはいい人なの? どっちにしろ気持ち悪いんだけども、と、コロコロ転がされたよ。太鳳ちゃんとさっくんのみならず、途中で大きくイメージの変わる登場人物は他にも複数いるので、出演俳優のファンの人は推しの多面性をたっぷり味わえるぞ!

 あと、誰とは言わないけど、子役が大人の役者さんにそっくりで驚いた。子役がネタバレ、というレベルで似てた。よく探してきたなあ!

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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