大矢博子の推し活読書クラブ
2019/01/30

木村拓哉で大正解! 映画「マスカレード・ホテル」が原作を完璧に再現できたワケ

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 君を守るため、そのために生まれてきた皆さん、こんにちは。27日の夜はニュースを追いかけすぎてこの原稿も間に合わなくなるところでしたが、その話はメンバー出演作を扱う次回に回すとして。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は5回目の登場となる東野圭吾作品ですよ。

■木村拓哉・主演!「マスカレード・ホテル」

 映画「マスカレード・ホテル」(東宝)の原作は東野圭吾の同名小説『マスカレード・ホテル』(集英社文庫)。これまで多くの映画・ドラマに出演していながら意外なことに、木村くんは刑事役も東野作品もこれが初めてとなる。

 東京都内で起きた3件の殺人事件。現場に残されたメッセージから、次の犯行現場がホテル・コルテシア東京だと判明した。警察は捜査員たちがホテルのスタッフに扮しての潜入捜査を敢行、捜査一課の刑事・新田浩介はフロントクラークの山岸尚美の補佐でフロントに立つことになった。客のためを考えるホテルスタッフと客を疑う刑事という立場の違いからふたりは衝突を繰り返すが、次第に互いのプロ意識を認めるようになる。そして〈その日〉が来た。はたして犯人は客の中にいるのか、それとも……?

 というのが原作・映画両方に共通するあらすじだ。犯人は誰で、どんな計画を立てているのかというミステリの面白さもさることながら、ホテルを訪れるさまざまな客の事情とそれに対応するホテルスタッフをオムニバス形式で描いた〈お仕事小説〉でもある。この小説を読むと(あるいはこの映画を見ると)、高級ホテルに泊まりたくなるよね。

 だがもちろん、東野圭吾だもの、お仕事小説だけであるはずがない。備品を持ち出そうとしてるっぽい客や、どう見ても挙動不審な客や、言いがかりばかりつけてくる客などに彼らはどう対応するのか。その客の真意は何なのか。そのひとつひとつがミステリ小説のようで、とても読み応えがあるのだ。

 さらにそれぞれの出来事から新田が本筋の殺人事件を解くヒントをつかんだり、実はさりげなく伏線が仕込まれたりしているわけで、原作のエピソードにはまったく無駄がない。え、待って、無駄がないってことは、カットできるエピソードがないってことじゃないの? どうやって2時間にまとめるの?


イラスト・タテノカズヒロ

■木村くんが「100点」と評した原作小説

 映画を見て何に驚いたって、山岸と新田が対応した客たちのうち、カットされたのはたった1件だけだったこと。その1件も原作の中ではごく軽いもので、事件というよりむしろホテル業務の一端を紹介するためのものだった。つまり、原作のほぼすべてのエピソードが網羅されていたと言っていい。なのに急いでいる感じはまったくなかった。

 なぜそんなことが可能だったか。もちろんカットされた部分はある。警察の捜査のくだりはかなり簡略化されていたし、結婚式を巡る事件の過程も少し省略されていた。だが何より、原作では多くの言葉を費やして描写されている情景や心情を、映画では映像や役者の演技で一発で伝えたという部分が大きい。言い換えれば、「見ればわかる」情報を、東野圭吾は文字だけで正確に読者に伝えるために丹念に文章を重ねているのだ。だから東野作品は読んでいて映像が浮かぶ。ドラマ化、映画化が多い所以である。

 だが実は、そうして重ねられた言葉の中にちゃんと伏線やヒントが入っているのがミステリ作家・東野圭吾の巧さ。実は原作では、早い段階で山岸や新田が真相に近いことを考えていたりするのだが、次々と訪れる客の対応にいつしか紛れてしまう。それは読者も同じで、あとになって「あのとき考えてたじゃん、それ!」とのけぞるのだ。そういった登場人物の具体的な思考が映画ではカットされていたので、ぜひ原作で確かめていただきたい。

 その巧さはテーマの描写にも通じる。タイトルにもなったマスカレードとは仮面舞踏会のこと。ホテルの客は皆仮面をかぶっている、その仮面を尊重するホテルスタッフと剥がそうとする刑事の対比が読みどころのひとつだが、刑事の新田もまたホテルスタッフという仮面をかぶっているという二重構造が本書のキモだ。

 この仮面というモチーフの使い方について、映画のパンフレットで木村くんは「原作の時点で100点なので、自分が表現させていただくのはおこがましいと思いました」と語っている。木村くんにそこまで言わせる原作、読んでみない手はないんじゃない?
 

■新田は木村くんをイメージして書かれていた!

 でも木村くんは「おこがましい」などと感じる必要はなかったのだ。なぜなら、この原作の雑誌連載が始まった2008年当時から、東野圭吾は新田を木村くんのイメージで書いていたのだから! 朝日新聞デジタルの対談記事で東野圭吾は執筆時から木村くんが頭にあったと述べ、「もしも木村さんがこんなことをしたら、こんなセリフを言ってくれたらかっこいいんじゃないか。大雑把にいえば、そんなイメージで新田という男を頭の中で動かしながら形にしていきました」と語っている。

 このコラムは、その役を演じたジャニーズのイメージで原作を読んでみようという「ジャニ読み」を推奨するものなんだが、今回はそもそも作者が「ジャニ書き」していたわけで、これ以上私が何を言うことがあろうか。シリーズは他に『マスカレード・イブ』(集英社文庫)と『マスカレード・ナイト』(集英社)の2冊が出ているので、そちらもぜひ木村くんでジャニ読みしていただきたい。イメージそのまんまだから。当たり前だけど。

 いや、待て。簡単に「当たり前だけど」と言ったが、作家が特定の人物をモデルにするには、当然、その人物に確固たるキャラクターが備わっていることが必要になる。つまり木村くんは、作家が「もし木村さんなら」と想像を膨らませられるほどの強い個性を持っていたということだ。これは決して「当たり前」ではない。

 以前、慎吾ちゃんが出演した「ガリレオ」を取り上げたときにも書いたけど、そもそもアイドルというのは仮面をかぶっている職業と言える。そんな中でも特に木村くんは、トップランナーとして、どんなときも常に〈世間がイメージする木村拓哉〉であり続けてきた。東野圭吾が本書を書くにあたって思い浮かべた木村拓哉像も、もちろんそれだったろう。だからこそ原作のイメージ通りの新田が出来上がったわけだが、一方で、イメージを保ち続けるのは決して楽なことではないと思う。無理に剥がそうとするメディアも多々あった。

 原作で、ホテルスタッフの山岸がこんなことを言う。「ホテルマンはお客様の素顔を想像しつつも、その仮面を尊重しなければなりません。決して、剥がそうと思ってはなりません。ある意味お客様は、仮面舞踏会を楽しむためにホテルに来ておられるのですから」──これはアイドルとファンの関係にも言えるような気がする。アイドルが見せてくれる顔を尊重して、受け止める。そうすることでファンは、アイドルとともに幸せな仮面舞踏会を楽しんでるんだから。
 
【ジャニーズはみだしコラム】
 ジャニーズではなく東野圭吾ネタになってしまうけれど、どうしても書いておきたかったので。実は今回、『マスカレード・ホテル』が映画化されると最初に聞いたとき、あの犯人を演じるのはけっこう難しいのでは? と感じた。もしかして大きく改変されちゃうのかな、と。ところが原作のまま見事に映像化されていて驚いた。
 その結果、私の中で、これまでの評価が変わった東野作品がある。かなり昔、とある東野作品を読んだとき「謎解きとしては面白いけど、これ、実際には無理だろ、バレるだろ」と思ったのだが、今回「マスカレード・ホテル」を観たことで、「いや、無理じゃないかも。意外といけるかも」と思い直したのだ。
 それが何かはネタバレになるので書かないでおく。それを既に読んだ人には見当がつくだろうし、未読の人はいつか出会ったとき「これか!」と思うはずなので、その日をお楽しみに。

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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