大矢博子の推し活読書クラブ
2023/11/08

中島健人・堤真一主演「おまえの罪を自白しろ」原作からテーマも犯人も変更? 原作を読んだ人だけが味わえる楽しみも

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラムでは、原作が映像化にあたってどう変わったか、それぞれの魅力を深掘りしていきます。ぜひ原作にも手を伸ばしてみてください。

■中島健人・堤真一主演!「おまえの罪を自白しろ」(松竹・2023)

 待って、原作と犯人が違う! いや違わないのか? あれ? 違うよな? ちょっと何言ってるかわからないと思うが、原作を知ってるとこうなるのだ。ただ結末を変えただけじゃなくて、先に原作を読んだ人だけが味わえる騙しの仕掛けがあるのよ。

 てなことは後述するとして、まずは作品情報から。原作は真保裕一のの同名小説『おまえの罪を自白しろ』(文春文庫)。衆議院議員・宇田清治郎の孫娘である、3歳の柚葉が何者かに誘拐された。犯人の要求は金ではなく、記者会見を開いて宇田がこれまでに犯した罪をすべて国民に告白しろというもの。宇田は決して清廉潔白とは言えず、その通りにすれば政治生命の危機だ。そればかりか与党内部や総理にも飛び火する可能性すらあって、永田町は駆け引きの坩堝と化す。

 物語の主人公は宇田の次男、晄司。長男は県議会議員、姉(映画では妹)の夫は市議会議員を務める中、父親に反発した晄司は大学卒業後に自分で会社を立ち上げた。しかし社員の引き抜きに遭い、事実上の倒産。後始末の金策を父に頼った交換条件のような形で5か月前から父の秘書として働いている。姪の命を助けるため父に自白を促すとともに、犯人探しに奔走するというのが原作・映画両方に共通する物語の骨子だ。

 面白さは何といっても、身代金ではなく自白を要求するという設定にある。孫の命か、政治生命か。宇田が孫の命を選んだ場合、巻き添えを食う他の代議士たちはどう動くのか。そういった心理的駆け引きに加え、犯人は記者会見の時刻を指定しており、その時間までに「何をどう自白するのか」を決めながら犯人を探すというタイムリミットサスペンスの興奮もたっぷりだ。そして何より、そもそも政治家に罪を自白させるという犯人の狙いは何なのか、というホワイダニット(理由探し)も見逃せない。

 映像化に際して細かい改変はいろいろあった。原作では存命の晄司の母は映画では故人になっていたし、晄司に新聞記者のガールフレンドがいるという設定もなくなっていた。政治家同士の駆け引きや宇田家内部のゴタゴタ、警察の捜査の一部などカットされた部分もあった。が、映画は終盤を除いて、概ね原作に忠実に進む。だが、見逃せない大きな改変が3つある。


イラスト・タテノカズヒロ

■原作と映画、ここが違う!

 ひとつめは主人公・晄司のキャラクターだ。ケンティーこと中島健人演じる晄司は、家族思いでまっすぐな青年だった。だが原作ではけっこう強(したた)かで、映画の晄司より「冴えている」と言っていい。自白しても父の立場を守れる(かもしれない)法律上の抜け穴を思いつくのは原作では晄司だ。自分の会社が倒産に至った経緯も、映画では父から教えられて驚いていたが、原作では自分で推理して真相に到達する。ケンティーのファンは原作で、真面目な青年からダークな参謀に徐々に変化する晄司をぜひ味わってほしい。

 そんな中、これはいい改変だなと思ったのは、晄司が犯人の狙いに気づくくだりだ。原作ではなぜ晄司がそれに気づいたのかの説明が薄かったので、やや唐突感があった。しかし映画では彼がそこに到達する過程をじっくり描き、原作にはない伏線も入れてきた。なるほど、これはわかりやすい。

 ふたつめの違いは、犯人だ。これ、説明が難しいんだけど、犯人の名前は原作と同じなのよ。だが映画の犯人は……いや、多くは語るまい。ひとつだけ言うなら、終盤に犯人がわかったときに「ああっ、そうだ原作の犯人はその名前だった!」ってなるのよ。いや、まさかそこに出てきてたとは。原作を読んでいる読者の虚を突くというか、原作を知っていると犯人についてはちょっと油断してしまう部分がある(読んだ人だけわかってください)のを、実にうまく逆手にとっていた。

 そしてこの犯人の違いというのが、みっつめの違いにつながる。テーマが違うのだ。正反対と言っていい。

 実は映画を見始めてすぐ、違和感があった。宇田がゴリ押ししたとされる橋の建設現場に、工事反対の立て札や横断幕などが並ぶ場面で映画は始まる。でも原作にはそんな場面はない。むしろ、大きな公共事業で地元に金が落ち、企業は潤い、歓迎ムードなのである。

 そして終盤、さらに大きな違和感を覚えた。展開をばらすわけにはいかないので具体的には書かないが、映画では、それまで徹底して冷徹だった宇田清治郎が、父の顔・祖父の顔を見せる場面がある。しみじみと自分の所業を振り返る場面もある。それは原作にはない。原作の清治郎は最後まで強かな政治家の顔を崩さない。このふたつの違和感こそ、映画が原作と正反対のテーマを持ってきた象徴だった。

■原作のテーマを180度変えた映画

 映画では、政治家の私欲によって名もなき庶民が翻弄される様子が前面に出ていた。犯人の動機もそこと無関係ではなかった。だからこそ、すべてが終わった後で宇田は反省し、人間味を出すし、晄司はそれを踏まえて未来へ向かう。翻って原作では、庶民──すなわち有権者の非について言及されるのだ。一部、引用する。

〈「有権者が地元に落ちる金にしか興味を持たないから、政治家も金を追いかけていく現実がある。鶏も卵も一緒くたになって、日本の政治は回ってるんだ」(中略)国民が地元の利益しか見ずに政治家を選んできたから、国は天文学的な借金を抱え、財政破綻の一歩手前まで追いこまれている。/だが、そういった現状を打破したくとも、力をつけねば国政の舵取りには加われないのだ。その椅子取りゲームに打ち勝つため、また税金が使われて、破綻へのチキンレースが続く。〉

 政治家にももちろん問題はある。けれどそれを選ぶ側にも問題がある。原作はそう訴えている。だから原作の犯人は動機も違うし、晄司は清濁併せ呑んだ未来を選ぶ。しかし映画はその部分を大きく変え、政治の被害者たる庶民の物語に変えてきた。善悪を明確にする映画のやり方の方が、共感は呼びやすいかもしれない。だが、現実はどうか? どちらがいいかは好みの問題なので、ぜひ原作を読んで映画と比べていただきたい。

 おおっと、推し読みといいつつケンティーにしか触れてなかった。今回の映画、実は最初にキャストを見た時、「若くない?」と思ったのだ。堤真一がおじいちゃん? 池田エライザがママ? 原作を読んだときのイメージよりみんな10歳くらい若い。が。いやさすがですよ堤さん。めっちゃ政治家だった! エラちゃんも完全にママだった。いや役者さんてすごいな。実はいちばん「役者さんてすごいな」と思ったのは犯人なんだけど、それはまあ、内緒。

 映画を見た上で原作を再読すると面白いぞ。前半は映画も原作も同じだけど、終盤は宇田のキャラが違うので、堤さんで宇田を脳内再生しながら読むとまた違った味わいになるはず。個人的には、娘婿で市会議員の緒形恒之を、演じた浅利陽介を思い浮かべつつ原作を読むというのをやってほしい。原作の恒之はめっちゃ小物で、映画ではカットされた数々のエピソードの小物感が浅利さんにぴったり(褒めてます)なのよ! 映画でももっと浅利さん演じる恒之が見たかったーーー!

大矢博子
書評家。著書に「読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100」など。小学生でフォーリーブスにハマったのを機に、ジャニーズを見つめ続けて40年。現在は嵐のニノ担。

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