大矢博子の推し活読書クラブ
2024/02/14

松村北斗・上白石萌音主演「夜明けのすべて」原作とは大きく展開が違う映画版 上白石も「原作を読んでほしい。読んで、観て完結」

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回はあの朝ドラの黄金コンビが主演した、この映画だ!

■松村北斗(SixTONES)、上白石萌音・主演!「夜明けのすべて」(バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース・2024)


 いやまいった。映画は原作からいろいろ改変されていて、特に「あの場面が好きだったのにカットされてたなー」という箇所がふたつあったので、それを書こうと思っていたのだ。そしたら映画のパンフレットで上白石萌音さんが、まさにその2箇所を「原作の好きなシーン」として挙げており、「映画を先に観た方にも原作を読んでほしい」と言っているのである。いや、主演俳優にそれ言われちゃったら、私がこのコラムに書くことなくなっちゃうんですけど!

 だから今回は休載──というわけにもいかないよね。うん。とりあえずどのシーンかは後述するとして、まずはいつも通り、原作の紹介から始めよう。

 原作は瀬尾まいこの同名小説『夜明けのすべて』(水鈴社/文春文庫)。藤沢美紗は月に1度、PMS(月経前症候群)のためイライラが抑えられなくなる。そのため会社でうまくやれず大企業を退職、今は栗田金属という小さな会社で周囲の理解に助けられながら日々を送っていた。そんなある日、PMS真っ最中の美紗は、同僚の山添孝俊の些細な行動に苛立ち、怒りを爆発させてしまう。

 山添もまた、転職で栗田金属に入ってきた青年だった。順風満帆の人生を送ってきたが就職後にパニック障害を発症、電車にも乗れず映画館や美容院などにも行けない。薬で発作を抑えるしかなく、人生に何の楽しみも見出せずに無気力な日々を送っていたのだ。

 山添は周囲に自分のパニック障害のことを隠していたが、会社で発作を起こしてしまう。彼の事情を知った美紗は自分がPMSであることを告げ「お互いに無理せずがんばろう」と声をかけるが、山添は「PMSとパニック障害って、しんどさも苦しさもそれに伴うものもあまりに違う」と抵抗を感じる──。

 物語はここからふたりが「互いの困難を完全に理解することはできなくても、ちょっと手助けすることはできる」という関係になっていく様子を描いていく。

 というふうにあらすじをまとめると、ずいぶん深刻で辛い話のように思われるかもしれないが、そうではない。それが瀬尾まいこ作品のいいところだ。このふたりの穏やかでユーモラスな交流が、読者の緊張を解きほぐしてふんわり包んでくれる。そして、PMSやパニック障害のような外からではわからないしんどさを抱える人がいるということを他の人が「知る」だけで、社会は今より息がしやすくなると、じんわり伝わってくる名作なのだ。


イラスト・タテノカズヒロ

■原作と映画、ここが違う!

 映画では藤沢さんを上白石萌音さんが、山添くんをほっくんこと松村北斗さんが演じている。もうこのふたりというだけで朝ドラクラスタとしては「カムカムエヴリバディ」の安子と稔を思い出して萌え散らかすってもんだ。ああ、ふたりがこんな平和な時代に転生してくれてよかった……。あ、でも恋愛ドラマではないので、そこには期待しないように。

 原作では釘やネジなどを扱う会社だった栗田金属が、映画では移動式プラネタリウムなどの光学機器を製造する栗田科学に変わっていたこと、山添の元上司と栗田社長が知り合いになっていたこと、ふたりには家族の自死という共通の体験があったことなど、序盤から原作にはない設定が加えられていた。しかし、藤沢さんと山添くんの事情については原作通り。藤沢さんがキレるきっかけも、前述したPMSとパニック障害の比較も、原作通りのセリフで再現された。

 その後、藤沢さんが山添くんの髪を切るというエピソードも、細かい違いはあるが原作に沿っている(ここ、原作ではもっと長いしふたりの会話がめちゃくちゃ面白いのでぜひ原作読んで! 山添くんがこけしにされるから! 映画でほっくんのこけしヘアをちょっと期待したが、そこは無難に変えられてた)。だが、そこから大きく展開が変わるのだ。

 かいつまんで言うと、移動式プラネタリウムの解説原稿をふたりで考えるのも、山添くんが元上司と交流を続けているのも、中学生が栗田科学の動画を撮るくだりも、藤沢さんが転職を考えるのも、映画で重要なモチーフになっている宇宙の話も、藤沢さんのお母さんに介護が必要になるのも、すべて原作には登場しない。映画の後半のエピソードはほぼ映画オリジナルだ。いやもう、かなり違う。

 だが、誰もが何かの事情を抱えていて、でもそれを心配する誰かがいて、という原作の構図はそのまま生かされているので、「変えられちゃった」という印象はない。社長や元上司の事情もそうだし、たとえば藤沢さんが会う転職エージェントが子育てしながら働いているということも自然と観客に伝わる。みんな何かを抱えていて、そんな人たちが互いを思いやりながら関わり合うことで社会が回っていくという原作の最も大事なテーマが、ちゃんと描かれているのだ。

■映画でカットされた名場面を原作で!

 原作にないエピソードが大幅に増えたということは、原作からカットされた部分もたくさんあるということで。いやあ、わかるよ、わかるけども、もったいない! すごくいいところがカットされちゃってるんだよなー。上白石さんがパンフレットで挙げていた2箇所がそれだ。

 まずひとつめは、藤沢さんが夜遅くに山添くんの部屋を訪ねる場面。その場面自体は映画にもあったが、きっかけが違う。映画では仕事がらみだったが、原作では藤沢さんが映画「ボヘミアン・ラプソディ」に感動し、興奮が抑えきれず、この感動を誰かに伝えたいと思う。でも見てない人に語るのはネタバレだ。そこで思いつく。山添くんならパニック障害で映画館に行けないのだから今後も見る予定はない。だったら結末まで話してもいいじゃないか──ちょ、ま、ひどいwww

 そして山添くんの部屋に押しかけ、いかに映画が素晴らしかったか滔々と語り、あまつさえクイーンの曲を歌い出すのである。しかもそれがヘタ。山添くんは以前バンドをやっていたため実は藤沢さんよりクイーンには詳しくて藤沢さんの勘違いにちょいちょいつっこむのだが藤沢さんは気にしない。いやもう、ここはヘアカット場面に勝るとも劣らない面白場面なのよ! 上白石さんも「原作ファンの方、全員が観たかったと思うのではないでしょうか」と語ってるくらい。見たかったなーーー。本当は歌唱力抜群の上白石さんが音痴に歌うのも見たかったし、ほっくんがクイーンを歌うのも見たかったーーー。ぜひふたりで脳内再生しつつ原作をお読みいただきたい。

 さらに上白石さんがもうひとつ挙げていたのが、お守りのミステリ。映画でも藤沢さんがお守りを山添くんの部屋に届ける場面があったが、原作ではそのとき別のお守りがふたつ郵便受けに入れられていた。果たして入れたのは誰か? というエピソードがあるのだ。

 このふたつに加えるなら、終盤、原作では藤沢さんが盲腸で入院する。ここで山添くんが大活躍するのである。ああもう、原作のすべてのエピソードが尊い……。映画では藤沢さんが山添くんに自転車をプレゼントする設定になっていたが、原作ではここで山添くんが自分で自転車を買う。そこに至るまでに何があって、何を決意して、そしてその結果何が変わったか──映画のプラネタリウムに匹敵する、原作のクライマックスだ。

 上白石さんはパンフレットで「映画を先に観た方にも原作を読んでほしいです。結末も全然違いますしね。両方を読んで、観て、やっと完結するという感じがします、私は」と語っている。いやそれ私がここで言いたかったこと! 映画にはないエピソードが原作にはたくさんあって、そのひとつひとつがユーモラスで優しくて希望に満ちている。映画とは異なる結末を、どうか原作で味わっていただきたい。上白石さんとほっくんを想像しつつ原作を読めば、さらに胸熱間違いなしだ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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