南沢奈央の読書日記
2019/07/26

ひとり飯で味わうもの

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撮影:南沢奈央

 わたしはご飯を食べることが好きだが、自分の家でご飯を食べることは好きじゃない。料理が苦手とか外食が大好物とかそういう訳ではなく、“家”で“ひとり”で食べるのが好きじゃないのだ。
 わたしの両親は、家族一緒にご飯を食べるということを大切にしていた。父は仕事が忙しく、平日の夜に一緒に夕飯を食べた記憶はほとんどない。みんなが寝てから帰ってくるなんてこともよくあった。だから朝食では子供たちと一緒に食卓につくと決めていた、と知ったのは、父とお酒を飲めるようになってからだ。そして全員が揃う休日には、「みんなで何を食べるか」を考えるのが楽しみだった。
 その南沢家の心得が染みついているのか、1人暮らしを始めて2年以上経った今でも、家でひとりご飯を食べていると、心細くなってしまう。だからわたしは、外へ食べに行く。ひとりで。
 わたしは同じお店に通い、同じものを注文するタイプだ。いくつかのお店で自称・常連だが、お店の人に積極的に話しかけたりしないので、常連とは認識されていないと思う。近所の中華料理屋さんで、1年半ほど通ってはじめて、「“いつも”ありがとうございます」と声を掛けられた。ついにお店公認の常連になれた記念に、いつもより1杯多くレモンサワーを飲んで帰った、なんてことがあったか。やっぱり、お店の方に話しかけてもらったり、よく来る人だと認めてもらえると嬉しい。

「女のひとり飯」と題した連載を書籍化した『佐藤ジュンコのおなか福福日記』を、舞台稽古帰りにカレーをひとりで食べながら読んだ。仙台在住の佐藤さんがあらゆる場所で出会った、食にまつわるコミックエッセイ。
“ひとり飯”と言いながら、佐藤さんのコミュニケーションの多さに驚く。「はじめに」でもご本人が書いているが、連載タイトルの割にはみんな飯がしばしば。だが、その場の雰囲気が伝わってきて、読んでいるわたしも楽しい気分になってくる。もちろん、佐藤さんはひとりで食べに行っても、お店の方やお客さんとの交流がちゃんとある。心あたたかく、そして楽しいのだ。
 よく行くお店で「今日もハイボールでいい?」と声を掛けられる。そんなちょっとしたやりとりがとてもうれしい、というエピソードを読むと、わたしと同じタイプかもしれない。
 佐藤さんの交流というのは、決して会話に限らない。
 満員のカウンター席をさばく3人の女性店員のことを見つつ、「仙台のチャーリーズエンジェル!」と心の中で呼んで、憧れのまなざしを送る。店員さんや常連さんのやりとりを見るともなく見る。そこに心地よさを感じる。
 割り箸で食べることになっているソフトクリームがある花巻のデパートが閉店するということで、高速バスと電車を乗り継いで食べに行く。400席もある食堂がほぼ満席。地元の人たちがうれしそうに割り箸で食べているところ見て、愛されているんだなぁとほろり。
 ひとり飯をしていても、自分の注文したご飯だけではなく、食材を、お店を、お店にいる人を、歴史を、さらには土地を味わっている。フッと脱力してほのぼのするイラストからも、食を通していろんなものと交流できるのだと気づかされた。
 せっかくどこかでひとりでご飯を食べるんだったら、味覚だけでなく、感性で味わいたい。
 本とカレーから目を上げて店内を見渡すと、店員さんと目が合った。勘違いして注文を取りに来てくれちゃったから、慌ててお水を飲み干しておかわりをお願いしたら、「辛いですか?」と心配された。「とても、おいしいです!」わたしは妙にハキハキと答えていた。食べ終わるまで、カレーはずっとあたたかかった。

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