南沢奈央の読書日記
2024/03/22

わたしを労わる

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撮影:南沢奈央

 わたしは今、世田谷パブリックシアターの楽屋だ。舞台の昼公演を終えて、夜公演前の、つかの間の休憩の時間。
 休まなければ、と思う。使命のように、義務のように。ヨガマットを敷いて横になってみたが、なんだか頭がぎゅるぎゅるしているからじっとしていられない。だから諦めてこうしてパソコンを開いてみた次第だ。
 これは楽屋に限ったことではなく、家でもずっとそんな感じなのだ。稽古の時からそうだった。身体は疲れている。だから寝ようと横になるけれど、頭はフル回転を通り越してすごい勢いで空回りをしつづけ、爆発しそうなくらいに熱くなっている。だから目を瞑っても、いろんな思考が巡る。眠りにつけるわけがない。
 これは仕方ない。だけど、自分の疲れを自分でちゃんと癒やしていかないともたないぞと思った。だから本番が始まってなおさら、入浴の時間をちゃんと取るように心がけるようにした。せめていい香りをと入浴剤を買いに行き、その日の気分に合わせて選べるように何種類か用意した。
 これで入浴の時間だけは、自分のリラックスタイム――と思ったのだが、そこは個室で無音……やはり考えてしまう。その日の公演を振り返り、悔しさが蘇り反省し、気づいたら台詞をぶつぶつとつぶやいてしまっているのだ。結局台詞の練習を繰り返し、のぼせて終わるのである。

 

 はて一体、どうやって自分を労わってあげたらよいのだろう――。
 そのことでまたあれやこれやと悩む日々。ある日公演後にふらふらと立ち寄った書店で、わたしの目に入ってきたのが『おつかれ、今日の私。』だった。
 ジェーン・スーさんによる“自分を慈しむセルフケア・エッセイ”。まさに今のわたしが欲しているもの……! 本を開くと、思っていた以上にもっと、わたしが欲していたものだった。救いを求めるようにページをめくりつづけた。
 48篇、毎篇読み終わったときには「おつかれ」と声を掛けもらった気分になれる。(実際「おつかれ」と書いてくれている場合もある)
「おつかれ」って、なんと素敵な言葉か。この業界にいると、「おつかれさま」を何気なしに多用していた。“すみません”とか“おはよう”とか、そのくらいの手軽さで使ってしまっていたけど、その身近な存在の輝きに気づかされる。
「おつかれさま」の汎用性が高いからこそ、いろんな気持ちを込めることができる。時に、“いつもありがとうございます”という感謝を乗せたり、“今日はどうでしたか?”という探りの入り口になったり、“明日はもっと頑張ります”と意気込んだり。自分本位な気持ちを乗せて使っていたことが多かった。
 だが原点に返る。これは相手を労う言葉だ。言う側ではなく、言われる側に立ってみる――〈私が誰かの「おつかれさま」に労われるのは、行為そのものに注力した私自身を、他者に受け止めてもらえたように感じるから。誰かが知っていてくれることに、安心するから〉。
 自分が頑張ったことを、見てくれていた証となる。“頑張ったね”と認めてくれることにもなる。ただそのことだけで、どれだけ報われるか、どれだけ癒やされるか。ジェーン・スーさんのおっしゃる通り、〈うまくいかなかったときの「おつかれさま」ほど沁みる〉ものはないのだ。なんという魔法の言葉……。
 
 この本を読んでいると、不思議な感覚になる。まさに自分に語り掛けられているようにも感じられるし、ジェーン・スーさんの心の声を覗き見させてもらっている気もしてくる。
 一貫して漂っているのは、やさしさ。頑張った自分を慈しむことを、全力で応援してくれる。自分に甘くなったっていいじゃないか。その日の自分に、自分で丸をつけてあげたっていいじゃないか。自分を慈しむことができたら、人にもやさしくなれるはずだから。
 みんなに「おつかれさま」と言えるように、まずは自分にちゃんと「おつかれ」と声を掛けられるような自分になりたい。そしてお休みなさい、わたし。

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