南沢奈央の読書日記
2018/06/08

鳩に豆鉄砲を食らう

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撮影:南沢奈央

 わたしの足元には犬のフン。スッキリした顔で見上げる飼い犬のコーギー。わたしの腕の上には鳥のフン。してやったり顔で見下ろす電線の鳩。豆鉄砲を食らったらこんな顔になるのかと、鳩も経験値を上げたことだろう。
 いきなりフンの話をして申し訳ないと思う。鳥との思い出を頭の中から引き出そうとしたら、敗北感と共に中学時代のこのエピソードが飛び出してしまった。奥の引き出しには、小学生の時の思い出。動物が好きで生きもの係をしていたけど、襲ってくるニワトリが怖くて飼育小屋に入れなくなってしまったこと。近くの引き出しからは、つい先日湖で出会ったカモ。愛らしくて餌を与えていたら、餌を巡って激しい争いが起きた。そしてわたしが立ち去ったら、物凄い勢いで上陸してきて、追いかけられた。鳥が嫌いなわけではないのだけど、鳥に対して良い印象がないのは確かで、興味もそこまでない。
 とは言え、鳥のさえずりに癒されるし、「鳥になって空を飛んでみたい」と願うし、『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』を手に取る。
 鳥が好きでなくても読みたくなってしまう。鳥に興味なくても読み切ってしまう。今度は川上和人さんと鳥たちに、してやったり顔をされている気分。でもいいのだ。読了してわたしにあるのは、敗北感ではない。

 まず、ここまでの文章の中に間違いがあるので訂正したい。それに気づいている人はどのくらいいるだろうか。おそらく多くの人が誤った認識をしているはずだ。わたしも本書を読むまでは、知らなかった事実。
 中学生のわたしの腕の上にあった白い乳液状のもの、それはフンではなく、鳥の尿であるということ!真実のフンは黒いのだ!なんたる衝撃!また豆鉄砲。まぁあれはフンではなかったと知ったところで、良き思い出に変わるワケでもないのだけど。さらに正確に言うと、鳥は人間と違って同じ穴から排出するため、白い尿と黒いフンが同時に落ちてくる、らしい。だから、わたしは両方を浴びたことになる。こんなことを発表している自分が恥ずかしくなってくる。思い出を書き換えて、静かに引き出しに仕舞おう。
 タイトルからも明らかなように、本書は鳥類学者による小難しい学術的な本、ではまったくない。この鳥の排泄物の話ひとつ取っても、美人が運転する車に例の白いものが付着していて「あらやだ、鳥の糞!」と嘆くところから、話題に入っていく。コメディドラマ仕立ての鳥教養番組と言ったところか。実用性は、ほぼない。ただ、たまらなく楽しい。ギャグや笑える描写がそこかしこに盛り込まれているのでつるつる読んでいるうちに、いつの間にか鳥の生態は見えてくるし、鳥類学者という人たちがどのように研究しているかがよく分かる。

 わたしがいつも癒される鳥のさえずりは、聴覚によるコミュニケーションの発達の証なのだそうだ。鳥の鳴き声はよく朝方や夜に聴こえる気がする。鳥はいつも鳴いているけれど、その時間帯が静かだから、聴こえやすいのだと思っていた。けど違う。鳥同志でちゃんと声が届くように、静かな時間帯を選んで、鳴いているのだ。日中でも静かな山や森だと、鳥は好きな時間に好きなように鳴けるということか。そこでまたわたしたちが、「鳥の声きれい!あ、いた!あそこ!!」とか騒ぐと、鳴くのをやめてしまうかもしれないから、癒されたいなら大人しく、鳥の会話に耳を澄ましてみるのがいいかもしれない。
 人間が“鳥はこうだ”と勝手に思い込んでいることは他にもある。たとえば、鳥目だ。鳥の目は、夜になると視力が衰え、よく見えなくなる。この証拠、実はないのだと言う。なのにどうして鳥を鳥目と言っているのか。それは「人が鳥目であるため」……!鳥目であるのはむしろ人間の方で、夜の鳥に気付いていないだけ、という著者の推測に膝を打った。
 本書を読むと、誰もが一度は抱く「鳥になって空を飛んでみたい」願望は、「ミズナギドリになって日常的に数百㎞空を飛び、50ⅿ以上海に潜り、1ⅿ以上の穴を掘ってみたい」というアスリートのような羨望に変わることだろう。

 鳥のことを知れば知るほど、愛着が湧いてくる。けど言っておく。
「この本に夢中になったからって、鳥が好きだと思うなよ。」

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