南沢奈央の読書日記
2020/11/27

浮世絵からお江戸へタイムスリップ

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撮影:南沢奈央

 いつからか、浮世絵が気になっている。
 高校の時には、表紙に浮世絵がプリントされたノートを使っていた。あの、北斎の、激しい荒波の絵だ。浮世絵の中で最も有名な作品、と言っても過言ではない、あれ。
 そうです、正直、詳しいことは全然知らない。“浮世絵で最も有名な作品”と言っておいて、題も知らない。描かれているのがどこの海かも分からない――。
 題は『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』で、場所は今の横浜沖の東京湾。今回、牧野健太郎さんの『浮世絵の解剖図鑑』を読んで、波の中に描かれている船は房総沖で獲れた新鮮な魚を積んで運ぶ「押送り船」というものだと知った。8人の漕ぎ手が必死になって漕いでいる。波の間から奥に見えるのは残雪多い富士山。この様子から、運んでいるのは初夏の初鰹の頃ではないかと推測できるのだとか。一番鰹には高値が付くらしいから、漕ぎ手たちもより必死に市場に向かっていることであろう。
 描かれたものから、季節や場所、状況などを想像する。
 浮世絵を見ていてワクワクするのは、この想像する余地のあるおもしろさだったのかもしれない。
 余地、と言ったら間違いかもしれない。むしろわざと想像を掻き立てるように、たとえば人の全体像を描くのではなく、画面の端に見切れさせたり、障子の向こうの影で表現したり、かんざしや手ぬぐいなどの小物だけをさり気なく描いていたりする。なるほど、「はじめに」で書かれていた〈知恵比べ〉という言葉の意味はこういうことなのかと納得。

 この本は、「銀座線でめぐる江戸」「江戸の暮らしが分かる」「季節でめぐる江戸」と3章に分け、あらゆる浮世絵の作品を取り上げながら、事細かな部分に着目して謎解きをしていくという一冊。技術的な解説も時々書かれているが、ほとんどが絵に描かれたものの意味や、そこから読み取れる時代背景が説明されている。“鑑賞”ではなく、まさに“解剖”という本のタイトルの通りだ。
 絵の解剖を始める前に「5分で分かる浮世絵」というコーナーがあるのもありがたい。いまや美術館で鑑賞するような、日本が誇る芸術作品として扱われているけれど、当時はそば1杯と同じくらいの値で、江戸の庶民たちは気軽に買って楽しんでいたのだという。しかも買って帰っても飾るようなことはなく、現在の雑誌や写真集のような感覚でながめて、内容についてみんなで盛り上がったのだ。
 だが制作過程を見ると、安価で買えるわりには手間ひまかかっているし、人も多く関わっていることに驚く。絵師である北斎や歌麿などは名が残っているけれど、その裏にはプロデューサーのような版元という存在がいて、また絵師が書いた下絵を木に彫る彫師という人たちがいて、さらにそこから摺師が一枚一枚摺っていた。それぞれの技術の結晶が、浮世絵なのである。
 浮世絵には、富士山が描かれているものが多いなぁという印象だったけれど、実は江戸はどこからでも富士山が見える、いわば江戸中がビュースポットだったのだとか! 羨ましい限り。青山・竜岩寺の松の横で富士見する人々が描かれている『冨嶽三十六景 青山円座松』。手を繋いで富士山を見ながら歩いている親子もいれば、腰を据えて七輪で熱燗をつけつつ酒盛りしている旦那衆もいる。今の東京では富士見酒できるスポットはないかしら、と探してみたくなる。
 また、お風呂やトイレが描かれたものもあり、当時の文化が窺える。猫を擬人化して銭湯の様子を描いた『猫のおぶうや』は、リアリティとかわいらしさのバランスがちょうどよくて、見ていて飽きない。今の銭湯と変わらず番台があったり、脱衣所の棚には間違えないように木札があったり、米ぬかが入ったぬか袋で体を洗っている様子や三助に背中を流してもらっている昔ながらの文化も描かれている。わたしも最近銭湯に行って、知らないおばさんにボディソープを貸してもらったり、湯舟で隣にいたおばあさんとお喋りしたりなんかしたけれど、この一枚の絵からも、銭湯では人が集まり交流する場でもあったことがよく分かる。
 推測する楽しさとして印象に残っているのは、これまた猫が描かれている『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』。田んぼと真っ白な富士山が見える2階の窓際で、外を見ている猫。この時点で、江戸っ子にはこの建物は新吉原であると分かったのだそう。平屋の多い時代に2階建てといえば、と推測するのは容易だったのだ。畳の上にはかんざし熊手というものが転がっていて、田んぼには人が行き交う様子があるし、富士山は雪化粧。これは酉の市の日であると分かる。そして少しむすっとした様子の猫が背を向けるほうには、描かれていないが、酉の市帰りの旦那が来ているのだろう。ではそれはどこの誰なのか、というのはさり気なく描かれた手ぬぐいの文様から推測できたのだとか。
 普通にこの絵に出会ったら、猫が外を眺めていて富士山もきれいだなぁくらいにしか思わなかったかもしれない。だけどこんなに細かい描写が施されていると知ると、確かに江戸の人のように、直接手に取ってじっくり見てみたくなる。現代ではそれは叶わないが、美術館に行けば一気にさまざまな作品を見られるし、こうして解剖してくれている本もある。
 わたしの好きな江戸という時代に、浮世絵からアプローチするのも面白いかも。趣味がまた一つ増えそうな予感がする。

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