南沢奈央の読書日記
2019/07/19

暇な人の人相は

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写真:南沢奈央

「ちょっと、気持ちをラクにしたいときに読んでもらえたら、と思って」
 以前、知り合いの方から、こんなメモと共にある本をもらった。読みたくなるその時が来たら読もうと思い、本棚に並べていた。
 そして先日、撮影していたドラマが無事にクランクアップしたところで、この本を思い出した。いつもなら一つの作品が終わったらホッとするところなのだが、今回はすぐに次の舞台の稽古に入ることになっている。稽古が始まる前に台本を読み込み、少しでも台詞を入れておきたい。時代劇のドラマ台本を仕舞い、すぐにシェイクスピア作品の上演台本を手に取った。
 このままいくと、10月の中頃の千秋楽まで気が張った状態で駆け抜けねばならない。一旦ここで、ちょっとでもひと息ついておかなければ……。
 シェイクスピアを一度閉じて、本棚から「気持ちをラクにしたいとき」の一冊を取り出した。

 表紙には、両手をバンザイした状態でのびやかに寝ている猫のイラスト。この間、姉から、これとそっくりの体勢をした愛猫の写真が送られてきたばかりだったから、妙に親近感が湧く。北村裕花さんが描く、完全に脱力しきっている猫を見て、本を開く前から頬が緩む。
 その猫の横にはタイトル。『ヨーコさんの“言葉” じゃ、どうする』。
 まるで猫が言っているようにも見えるのだけど、この猫がヨーコさん、というわけではない。ヨーコさんとは、名作絵本「100万回生きたねこ」の著者、佐野洋子さんのことである。
 本書は、NHKで放送していた番組「ヨーコさんの“言葉”」を書籍化したもので、佐野洋子さんの随筆を元に、北村裕花さんの絵で絵本仕立てにしたものだ。どうやらシリーズ全5冊あるうちの完結編からわたしは読んだようなのだが、短い話がいくつも収録されているので問題ない。
 番組では読み聞かせ形式だったようなのだが、確かに佐野さんの言葉は、音で聴いてみたくなる。語りかけられているように感じる文章なのだ。もちろん会ったことがあるわけでもないのに、他人とは思えないような空気感とそこにいるかのような存在感が漂う。読者を緊張させない文章ってこういうことなのだなって思った。もしかしたら、佐野さんご自身のお人柄もそうだったのかもしれないと想像する。

 30分くらいでザーッと読み切ってすっかりリラックスしたわたしは、もう一度ぱらぱらとめくり、何か所か声に出して読んだ。
〈外側や条件で人はわからない。一個一個調べないとわからない。一個一個ちがうからね、一個一個調べるのよ。〉
 男性に対して偏見がある、と断言する佐野さん。嫌いな条件ばかり揃った男性と出会い、仕方なく接してみたら、先入観を覆す、あまりに良い青年で衝撃を受けたというエピソード。
 これが若い時の話ではなく、息子さんが高校生の時の話だというから、また心に響く。たとえ大人になろうが母になろうが、失敗はあるし、間違いだってある。そういうところを素直に出して、その上発見して、自分で認めるという心の在り方が素敵だ。
 個人的には、“親切”について考える章が特に好きだ。
〈一番難しいのは身近な人に長年にわたって、変わりなく親切にできることだ。〉
 東京で忙しなく生活をしていると、身近な人だけではなく、行きずりの人に対しても親切にする余裕がなくなってしまう。佐野さんも駅で道を訊いただけで舌打ちされてしまったという。それが、長野の上田に行ったら、デパートでもミシン店でも布団屋さんでも、みんな丁寧に、親切に接してくれる。そうできる理由は、「暇だから」だと気付く。
〈暇な人って人相がいい。私も暇にして、いい人相して、人に道なんか、ていねいに教えてあげたい。〉

 今のわたしは、心のゆとりを失いかけていた。そして一緒に忘れかけていた“思いやり”を、本書をさまざまなフィルターで読んだことで思い出させてもらった。
 佐野さんの文章によって頭で味わって、北村さんの絵によって目で感じて、そして、自分の声によって耳で考える。するといつの間にか心が、柔らかく明るい音色で響いている。

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