南沢奈央の読書日記
2020/02/21

大台に乗る前に

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撮影:南沢奈央

 わたしはいよいよ、大台に乗るらしい。
 最近周りから、「今年ついに大台に乗るんだねぇ」なんて言われることが多々あって、気付いた。30歳って、大台なのですね。
 キリの良い数字は気持ちがよくて好きだ。2020年というキリの良い年に、29歳から30歳になるって、何だか特別な気がして嬉しい。しかも誕生日の6月15日、数字を一つずつ掛け合わせると……ちょうど30!(強引な偶然!)まぁだからといって、特別なことをするつもりもない。例年通り、一つ年を取るだけのこと。
 だけど周りがそうさせない。まるでインタビュアーのように聞いてくる。20代のうちにやり残したことは? いよいよ30代を目前に焦ったりしない? これからどんなふうになっていきたいの? 大台に乗る人間として、いろいろと表明しなければいけないようである。
 ふと考える。少し、いじわるな質問ではないか。“やりたい”ことは沢山ある。ある意味、やり残っているとも言えるだろう。だけど“20代にやり残した”と言われると、もう30代では出来ないことのようだ。そんなのあるかなぁ。
 30代に突入することの、何に焦るの。いつ死ぬか分からないのは知っているけど、まるで寿命が近付いているみたい。きっと、焦るって、主に結婚について言いたいのだと思う。確かに子供が欲しい場合、女性には体のリミットがある。そしたらなおさら焦るより、落ち着いて考えるべきだ。
 どんなふうになっていきたいか、ねぇ……。この漠然とした質問だけが、適当にあしらえない。苦しくなる。勝手にプレッシャーを感じてしまう。何だかとても重大な質問な気がするから、軽々しく答えられない。一度口に出してしまったら変更不可能なものになってしまいそう。ハッキリと自信を持って宣言できる目標みたいなのがないのかもしれない、わたしは。

 これではだめだ、と思っていたときに、「これでもいいのだ」と言うジェーン・スーさんに励まされる。
 励まされるというよりも、温泉に浸かって、体や頭の緊張がゆるゆると解きほぐれてゆく感じに近いかもしれない。66篇のエッセイを読んだ今、すごくよく寝付けそう。
 実はジェーン・スーさんの著書は初めてだったのだが、遠方から来た友人たちと不忍池でスワンボートに乗って、上野動物園に行ったというエピソードだけでぐっと親近感が湧いた。わたしもまさにそのコースが好きなのだ。
 一緒に行ったメンバーというのも、「冴えない女の会」という、SNSを通じて知り合った30代、40代の6人の集まり。冴えないとは、曰く、〈致命傷はないものの、かすり傷だらけで、うすらボンヤリしている状態〉。みな、〈キラキラ輝く向上心を持ち合わせていない〉。
 競争心も損得勘定もなにも持ち合わせずに、人と付き合うって案外むずかしいことなのかもしれない。競争心、損得勘定は持っていない方だと思っていたが、20代中頃だろうか、誰かにご飯に誘われたときに、自分にとってその人との時間は有意義な時間なのかをすごく考えてしまう時期があった。家で本を読むのと、その人と話すのとどちらが有意義だろう、と。今考えると酷い話だが、つまりそれって何かを吸収したいとか、何かを得たいという下心があるということだ。その時期どういう訳か、時間を無駄にできない!と急いていた気がする。
 だけど、ただスワンボートに乗って、ただ動物を見て廻る。人に何を求めるでも、人と自分を比べるでもなく一緒にいられる仲間は大事だ。わたしも気付き始めていた。ジェーン・スーさんの言葉を借りるなら、〈アドレナリンを放出せずに済むゆったりとした付き合い〉にもっと時間を使っていけたら、また違う年の重ね方を出来そうである。

 これでもいいのだ。たぶん、あれでもいいし、それでもいい。「どうにかなる」と自分を信用する。
 ではどうやったら自分を信用できるようになるか、という「あとがき」の話が印象的だ。
〈なにを選んでも、そこそこ大丈夫だと自分に証明していくしかない〉。〈今日まで無事に生きてきたんだから、あなただって大丈夫〉。
 温泉に浸かってよく眠った翌朝、背中が少ししゃんとして、外の空気が澄んで見えるようだ。

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