すべては一歩から始まる
わたしは顔合わせという日が一番苦手だ。
今でも新しい現場に入るたびに、デビュー時のことを思い出す。BSの連続ドラマで主演をやらせてもらうことになり、初日には早速、顔合わせ、本読み、記者会見が詰まっていた。
共演者の方やスタッフの方は一体どんな人なのだろうか。本読みってどんな感じで進んでいくのか。台詞を噛んでしまわないだろうか。記者会見ではどんな質問をされるのか。果たして、うまくできるだろうか――。
そんなことを考えていたら、頭がぼーっとしてきて鼻血が出ていた。わたしみたいな新人が鼻血を出したために開始時間が遅れてしまった。TBSの洗面所の鏡を見ながら、すごく情けない気持ちになったのを覚えている。
知らない場所に飛び込むのはこわいことだ。それは何年やっても慣れることがない。
もちろん本番も緊張するのだが、ドラマの撮影初日や舞台の稽古初日、現場に向かう前の朝の時間が一番胃にくる。もう覚えたはずの台本から手が離せない。どうして緊張するのか、理由も分かっている。芝居や、共演者、スタッフとのコミュニケーションをうまくやりたい、と思うからだ。うまくやろうとしているから、あらゆる失敗を勝手に脳内で想定して、憂鬱になる。まだ現場に向かう前から、うまくいかない想像ばかりをしてしまうから、逃げたくなるのだ。
どんなに経験を積んでもあれやこれやと悩むのは嫌ではあるけれど、慣れてはいけないような気もするのだ。「知らない場所に飛び込むことがこわい」という認識が、自分の身を守る何かになっているのでは、と最近思う。こわいからこそ、できる限りの準備をする。あらゆる想定をしているから、ハプニングが起きようと慌てない(落ち込むこともあるけど)。「こわい」という気持ちが、自分を強くしてくれているような気がしている。
決まった仕事に関しては知らない場所に飛び込むチャンスが目の前にあるからいいけれど、そもそもそのチャンス自体を蹴ってしまうことがある。オファーをいただいた仕事内容を見て、やるかどうか決める際に、「こわいからやめてしまう」ということが実は何度かあった。芝居では挑戦したいという気持ちが勝つからいいのだが、自分のフィールド以外の仕事だと特にそうだ。わたしなんか恐れ多い、わたしなんかができるわけがない、と。これは重症だ。やれると信じてくれてオファーしてくださった方に、申し訳がないと思う。分かってはいるのだが、物怖じ気質が邪魔をしていた。
最近も、思いがけないところから大きなお話をいただいた。これまでやったことのないフィールド。お話をくださるだけでも有難い仕事だ。「やりたい」と思うけど、考えれば考えるほど、「こわい」が膨らんでいく。
そんなときである、この言葉が目の前に現れたのは。
「やってみなくちゃわからないことを、やる前から悩んでどうすんの」
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- 淳子のてっぺん
- 価格:924円(税込)
ほんとうにそうだ。やったことのないことを、やる前から悩んでいる。何をばかな立ち止まり方をしていたのだろう。
その話がうまく着地するか分からないけど、唯川恵さんの『淳子のてっぺん』があったから、知らない場所への一歩を踏み出す決意ができた。
女性として世界で初めて世界最高峰のエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんの挑戦の軌跡が描かれた小説。エベレストなんて、知らない場所も知らない場所だ。他にもいくつもの未踏ルート登頂も成功されている。子どもの頃、体育が苦手で逆上がりもできなかった淳子さんが、自分の足で一歩一歩進み、いくつもの山を登ってきた。
そんな淳子さんでも、周りから「女のくせに」という声も聞こえてきて、「こわい」と悩み、立ち止まることもあった。それでも一歩、また一歩足を進め続け、世界最高峰までたどり着いたその姿が、まさに「こわい」を理由に逃げようとしていたわたしに突き刺さってきた。
〈すべては一歩から始まる〉。これからもわたしの中から「こわい」はなくなることはないだろうけれど、物怖じ気質が邪魔をすることは一切なくなることだろう。
さぁ、まだ知らない場所へと一歩。きっと、たのしい。