南沢奈央の読書日記
2018/12/21

師走の幸せ

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撮影:南沢奈央

 先日、実家に夕飯を食べに帰った。
「おかえり」
 居間に入ると、コタツに入ってテレビを観ていた母と姉が、迎えてくれた。
「ただいま」
 母はわたしのために場所を空けてくれて、その上、夕飯まで持ってきてくれた。わたしは冷えた体をすぐに潜り込ませ、まるで温泉に入ったときのように、深い息をついた。
「冷凍庫にアイス、あるからね」
 眠たそうに言い残して、母は寝室へ行った。わたしとは正反対で、母は早寝早起きな人だから、21時過ぎると分かりやすく動きは緩慢になり、目はしぱしぱ。あくびも連発。21時半には、自室に引き上げてしまう。姉も然り。
 夜にひとり、居間に残る時間が懐かしかった。何をするでもなく、ただぼーっとテレビを眺めるのも、久しぶりだった。
 そして、コタツでアイスを頬張った。
 その瞬間、あぁ、こういうのを“至福の時”と言うのか、と思った。
 コタツでアイスを食べる。わたしにとって、この上なく幸せなことだった。
 自分の家にもコタツを買おうかどうか迷っていたのだが、この幸福感は実家のコタツでしか味わえないことを、妙に確信した。
 コタツには、幸せが詰まっている。それを知っちゃったら、ここから抜け出せなくなる。わたしはそれから数日間、実家に泊った。

 最近友人たちとご飯を食べた時に、「夢ってある?」と聞かれた。
“目標”のような現実的なプランはあっても、“夢”と呼べるようなキラキラした将来は思い描けていなかった。
 その場にいた全員がそんな感じで、でも「幸せになりたいよね」と誰かが言ったら、「そうだね」とみんな頷いた。
 じゃあ、「幸せって何だろう?」。
 お金持ちになることだろうか。有名になることだろうか。結婚することだろうか。ひとり自由に暮らすことだろうか。
 一体、何に幸せを感じるのだろう、と考えたときに最初に頭に浮かんだのは、“コタツでアイスを食べること”だった。
 ちっちゃ!と自分でも恥ずかしくなったから言わなかったけれど、友人のひとりが「二度寝」と言った。ちっちゃ!とは思わなかった。
 むしろ、共感する。二度寝に限らず、昼食をたらふく食べた後の昼寝とか、コタツでアイスを食べた後のうたた寝とか、幸せだろうなということは容易に想像できる。
 よしもとばななさんも、『小さな幸せ46こ』のうちの一つで、うたた寝の幸せについて、こう言っていた。
〈「さあ、思い切り寝てよいぞ」と言われていないところにつきると思う。
 ちょっと寝ちゃおうかな、ああ、でも今寝たらまずいな、ぐうぐう……。
 みたいな感じがつまみ食いとそっくりでたまらないのだ〉

 ついこの間も、インフルエンザの予防接種を受けに行って、その待ち時間に、うたた寝してしまったのがあまりに気持ち良かったっけ。ほんの数分の出来事なのだけど。
 待ち時間と言えば、ばななさんが旦那さんとお子さんと3人で健康診断に行って、その長い待ち時間で、普段しない会話ができたというエピソードがとても素敵だった。
 慌ただしい日々の中で、ほんの少しの余裕を持てたら、幸せなことって多いのかもしれない。
 この話を読んでから、少しだけ意識して生活を変えてみた。
 今週の舞台稽古の休みでは、家でしっかりお昼ご飯を食べて、憧れの昼寝はせずに、お風呂にお湯をためてゆっくりと浸かった。単にお昼にお風呂に浸かっただけなのに、とても贅沢で幸せな気持ちになった。何より、冷え性のわたしの体が一日中ぽかぽかしていて、体調が良かった。
 ある稽古の日は、いつもより1時間早く起きて、朝ご飯を丁寧に作って、食べた。食後にコーヒーを淹れて、読書。この心のゆとりが、心地よかった。そして、〈私は小説家で、そのことがいちばんの幸せなのだ。これだけは大きな幸せと言わざるをえないくらいに〉と言う著者の本を手に取れたことにまた、幸福感が湧き上がった。

 そういえば、「二度寝」でみんな同意する中で、別の友人が「二度寝は日常だから、特に幸せを感じない」と言っていた。
 幸せって、日常から一本はずれた脇道にあるようである。

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