南沢奈央の読書日記
2019/06/10

こうしてラブ・ストーリーは突然に

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撮影:南沢奈央

 わたしは“呼び名”に敏感だ。
 普段から本名と芸名のふたつの名前を持っている上に、何か作品に入ると役名も加わる。他人から何と呼ばれるか、でオンオフを切り替えている。今や、本名で呼ばれる場面で仕事モードになれる気がしない。
 2日に公演を終えた舞台の演出、白井晃さんはわたしのことをさまざまな呼び方をしてくださっていた。「南沢さん」「南沢くん」「奈央くん」「奈央ちゃん」「奈央」「エリザベート」「お姉ちゃん」などなど……。白井さんとしては意識して使い分けているわけでないようだったが、劇場に入ってから初日が迫っている頃に呼び捨てになって、つい背筋が伸び、緊張感が増した。いつもよりも、大きな声でしっかりと、「はい!」と返事をしていた。
 呼び方で、その相手との距離感やそこに漂う空気が変わる。
 つい最近も、こんなことがあった。
 わたしのことをいつも「南沢さん」と呼び、敬語で話しかけてくれている年下の知人がある日突然、「奈央ちゃん」と言った。
「奈央さん」を経由せずに「奈央ちゃん」! 基本的には何て呼んでもらっても構わないのだけど、わたしだったらこの飛び級は出来ないから、正直いつもだったら“この人、急に距離を詰めてきたなぁ”とびっくりしてしまう。だが、この時はあまりに自然で、はじめ、呼び方が変わっていることにも気づかなかったくらいだった。だけど次会った時にはまた「南沢さん」に戻っていた。これもまた自然で、違和感はなかった。
 このAさんの場合は、意識して呼び方を使い分けていた。Aさんはわたしが通うスポーツジムの仲の良いスタッフさんで、ジムで会う時は「南沢さん」、ご飯に行ったりとかジム以外で会う時は「奈央ちゃん」。
 使い分けに気づいた時、正しいのかもしれないと思った。そして凄いなぁと感心してしまった。公私をしっかり分けている。いくら仲良くなっても、Aさんの職場であるジムで顔を合わせれば、「南沢さん」と呼び続けるだろう。むしろ、良い関係を保つために、今後もそうしてもらいたいとさえ思う。

 呼び方で「公」と「私」を分ける。だからこそ、「オフィスラブでは『呼び名』はとても重要な問題である」ことが、妙に腑に落ちた。西口想さんの『なぜオフィスでラブなのか』で、川上弘美さんの『ニシノユキヒコの恋と冒険』を例に挙げて分析している。
 こんな一幕があるそうな。
〈マナミ、とユキヒコはわたしの名を呼んだ。会議室のくらやみの中で。ブラインドのおりたくらがりの中で。わたしは何も答えなかった。榎本副主任、と名字でしか呼んだことのないわたしの名前を、ユキヒコが知っていることに、衝撃をおぼえた。自分に名前があったことを思い出して、衝撃をおぼえた。ユキヒコにはじめて呼ばれたわたしの名前がすでにして甘く溶け出していることに、衝撃をおぼえた。〉
『ニシノユキヒコの恋と冒険』は未読だから、前後はまったく分からないのだけど、この数行を読んだだけで、ドキドキした。「公」の場である会社で、完全な「私」の呼び方をされる……。ただの“同僚”だったのに、急に“男”として意識してしまうではないか。
「仕事をするパブリックな場所」である“オフィス”において、「プライベート領域に属する」“恋愛”をするという、まさに公私混同である「オフィスラブ」。『なぜオフィスでラブなのか』は、小説やマンガで描かれるさまざまな時代とかたちのオフィスラブを通して、「オフィスラブ」の実態を紐解いている、おもしろい視点の評論集だ。

「オフィスラブ」と聞くと、ドキドキワクワクする。言葉に潜む、禁断感。そこからひと悶着ありそうな予感。わたしがこうして無責任に想像して楽しめるのは、どこかオフィスラブをフィクションのように感じているからだ。つまり、自分がオフィスでラブした経験がないからだろう。だからドラマのような展開を想像してみたり。実生活では、ピンとこない現象なのである。
 だけど実際には、結婚・同棲相手との出会いは職場だという人が多いそうだ。24~32%もの人がそうだというから驚きだ。
 興味深いのは、他国と比較すると、職場で恋愛に発展する割合が高いのは日本だけだ、ということ。フランスなんか、6~8%ほどだ。学校や幼馴染である生活圏で出会った相手や、親族や友人の紹介のケースが多いという。
『なぜオフィスでラブなのか』。この問いは意外に深い。
 まずは、わたしが生まれた頃のオフィスラブ代表「東京ラブストーリー」を味わってみようと思う。

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