南沢奈央の読書日記
2018/05/18

肩凝りゴリラの解消法

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撮影:南沢奈央

 わたしはまさしく、ゴリラだ。
 精神科医の名越康文先生が監修している「類人猿分類診断」をやってみた。最近さまざまな企業でも取り入れられている性格診断だ。いくつかの質問に答えて、性格別に4つのタイプに分けるというもの。単独行動で職人肌のオランウータン、ムラッ気が強いけどリーダーシップがあるチンパンジー、愛嬌があって互いの気持ちを大切にするボノボ、そして秩序を守る物静かなゴリラ。
 ゴリラは、地味で目立たず、それほど存在感はないのに、コツコツと着実に仕事をこなすタイプ。真正面から自分の意見を戦わせるのではなく、そこにいる全員のバランスを取ることを何よりも優先する。
 なるほどなるほど、わたしはザ・ゴリラだ。たとえば、家族5人で食事に行ったときのデザートタイムで発揮されることがある。自分の好みそっちのけで、他の4人と被らないものを選んだりする。みんなが満腹で注文しないときには自分は食べたくても言わないし、逆も然り、みんなが食べるならばお腹がいっぱいでもデザートを頼む。その場を乱さないことに努めている。両親は「食べたいものを食べなさい」と言ってくれるし、ひとり食べていても待っていてくれる。だけど、ゴリラの本能がそうさせるのだ。
 ふと、自分の意思は何処だろう、と虚しくなる。
「自分はいったい、何のために生きているのか?」
 そんな思いを一度でも抱いたことのある全ての人へ。『SOLO TIME「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』で名越先生が提案する“ソロタイム”が効くかもしれない。

 わたしたちは、家族や友人、会社などと言ったさまざまな「群れ」の中で生活している。テクノロジーが進歩した今、「群れ」の境界線がなくなってきているように感じる。携帯電話を持っていなかった中学までは、学校が終わって家に帰れば、友人からの連絡の有無を気にしたことはなかった。だけど高校に入って携帯を持つようになって、さらには大学に入ってスマホを持つようになって、家に帰っても友人との関係に気を遣う時間が増えていった。家族という群れの中に、学校の群れを引きずっている。境もなければ、所属する「群れ」も増え、複雑になっていく。多くの人が人間関係に悩み、疲弊するのは、至極当たり前のことだ。
 手の平の上で大多数の人と瞬時に繋がってしまえる現代社会で、日頃の人間関係や役割から切り離された、ひとりの時間を持つことはなかなか困難だろう。だがその現代社会を生き抜くために、“ソロタイム”が必要なのだ。
 では、何をしたらいいか。群れから離れる感覚はどう体験できるか。一番分かりやすいのは、「旅に出る」こと。日常を離れて人と環境を変え、目的意識をなくして過ごす。……と書いてみたら、本書を読んでいるときには気付かなかったことに気付いてしまった。わたしは先月末の読書日記「憩う旅をしましょ」で、杉浦日向子さんの言葉から、自分の趣味の意義について、こういう気付きをしていた。
 〈そうか、わたしは“旅”をしたいのだ。読書も落語も、別世界への旅。超人的な身体能力を目の当たりにするプロレスも、壁と石に向き合うボルダリングも。旅行はもちろん、全裸で見知らぬ人とお風呂に入る銭湯も。日常から離れる“旅”は“憩い”になる。〉

 今度は名越先生の本で、自分の趣味の“必要性”に気付いてしまった。
 周りからの評価も気にせず、時間も忘れるくらいに没頭できる時間。これらの趣味こそ、ソロタイムと言ってもいいだろう。つまり……ああ、わたしは、自分が思っている以上に、「群れ」生活に疲れていたのかもしれない。そういえば、「南沢さんは、疲れや悩みを首と肩に溜めてしまうタイプ」と教えてくれたマッサージ師さんに昨日施術してもらったら、「かなり凝っていますね」と言われた。
 普段のわたしなら、またこの悩みが多いこと自体に悩んでいただろう。
 だけど本書に没頭したわたしは今や、このソロタイムを生かさない手はない!という前向きゴリラ。人間関係に関して時間とエネルギーを使い過ぎていた、勿体ない!と少し吹っ切れた爽やかゴリラ。
 そして「もし、誰かの期待に応えられなかったとしても、あなたは生きていていい」という言葉によって、わたしは、肩の荷を下ろしたゴリラだ。

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