南沢奈央の読書日記
2024/03/08

情熱のウラカタ

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舞台稽古を見守る2人のプロンプター(撮影:南沢奈央)

 舞台には、プロンプターという役割の人がいる。ネットで調べてみると、「演劇で、舞台の陰にいて、俳優がせりふをまちがえたり、つかえたりしたときに小声で教える人」と意味を説明されているが、実際はそれ以上のことを求められている気がする。本番に限ったことではないからだ。
 いよいよ来週12日に初日を迎える舞台『メディア/イアソン』の稽古場には、2人のプロンプターの方が常時いてくださった。今回はキャスト5人だけでギリシャ劇を表現するということで、それぞれ膨大な台詞がある。稽古の序盤は特に、台詞に詰まることがある。そんなときに、その様子を瞬時に汲み取ったプロンプターが、台詞が出てくるように、単語や文節で続きの台詞の取っ掛かりを教えてくれるのだ。そのことを、“プロンプを入れる”と言う。
 稽古の大詰めになってくると、毎日、最初から最後まで続ける、通し稽古というものをする。その時点では台詞が出てこないということはほとんどなくなっているから、途中でプロンプを入れてもらうことはない。だが他に重要な仕事がある。通し稽古中に、台本と台詞を常に照らし合わせながら、間違えていないか確認するのだ。もしあればメモをし、終わったあとに、その部分をピックアップして、丁寧にリストに清書して渡してくださるのである。
 間違えた箇所だけではなく、“どのように間違えたか”というのに気づかせてもらえるのが、ほんとうにありがたい。たとえば、「あなたのところへ」という台詞を「あなたのところに」と言ってしまっていたり、「自分は」を「わたしは」と言っていたり、語順が入れ替わっていたり。意味は同じだから自分では見落としやすい。でも、ちょっとしたことで印象が変わってしまう。台本の表現にはすべて意図があると思っているから、一字一句間違えずに言いたいのである。
 このように、全体を見る演出家だけではなく、陰には、台詞を見るプロンプターがいて、舞台装置や小道具を見る舞台監督や演出部、他にも音楽監督、音響、照明、振付、衣装、ヘアメイク、制作、プロデューサー……と、それぞれ特化した見方をしている人たちが大勢関わっているのだ。舞台は、ドラマや映画のようにエンドロールもないし、パンフレットを買わない限りはスタッフさんの名前を知ることはない。
 だけど、だからこそ、声を大にして言いたい。一つの作品に、さまざまなプロフェッショナルの人たちの鋭い目があるからこそ、質の高いものが作れるのだ。表に出る身として、感謝の意をもって、そして責任をもって舞台に立ちたいと思う、今日この頃なのである。

 本の世界にも、表に名が出る著者を支える“名裏方”が多くいる。編集者、デザイナー、大きく言えば出版社……。だが、本のエンドロールである巻末の奥付にすら、なかなか名前が載らない存在がいる。
それが、校閲だ。
 校閲とは、……と説明しようとしてみたが、こいしゆうかさんのコミック『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』を読んだあとでは、尊敬と感謝とが溢れ、一言では言い表せないことに気づく。「言葉や表現そのものの正確さ、的確さを見分ける」以上のことをやってくださっている気がするのだ。
 本を出すときだけにかかわらず、何か原稿を書くたびに、わたしも大変お世話になっている。原稿が上がった時点で確認してくださり、些細な誤字脱字はもちろんのこと、前後の辻褄が合っているか、この表現で伝わるのか、事実と合っているかなど、細部にわたり、より良いものにするための指摘をくださる。
 本書を読んでおどろいたのは、小説のようなフィクションでも、設定年月が分かる場合は、天気や月の満ち欠けまで調べるのだということ。そして実際と異なれば、指摘する。また、登場人物の性格や特徴の描写が、作品を通して矛盾がないかを確認するのは基本だとか……。作家さんが執筆する際にやるようにノートにまとめる校閲の方もいるようで、頭が下がる。
 だが時に、あえて指摘しないこともあるとか。たとえば、作家さんが辞書にも載っていない言葉を使われたとき。必ずしもそれが誤りだと判断するのではなくて、何か思いがあってこの表現を使っているのではないかと、「著者の意図を広くとらえる」という柔軟性も必要だという。
 本書は新潮社の校閲部をモデルにしていて、実在のレジェンド校閲の方も登場する。ストーリーのなかに、名作家さんとの実際にあった逸話も散りばめられていて、本好きにはたまらない。また、一話一話の合間に、〈校閲部の現場から〉というコーナーがあり、現役校閲部の方によるコラムもある。陰の立役者であるのに名前も載らない裏方のみなさんの、さらに裏話を知ることができて、未知の世界を覗き見している気分だった。
 読み終えたときには、書き手としても読み手としても、校閲の方の存在がわたしのなかで大きくなったのは確かである。

 裏方のみなさんの情熱に支えられ、押し上げられ、表でさらに大きなエネルギーを発することができる。
感謝しているだけではだめだ。応えなくては。超えなくては。
 早く舞台に上がりたい。こんなふうに滾るのは人生で初めてかもしれない。

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南沢さんが出演する舞台『メディア/イアソン』の東京公演は2024年3月12日(火)~31(日)まで世田谷パブリックシアターにて、兵庫公演は4月4日(木)~6日(土)まで兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールにて行われます。

▼舞台の詳細はこちら
https://setagaya-pt.jp/stage/2164/
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