南沢奈央の読書日記
2023/08/11

山小屋ガール

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南沢奈央さん

 今日は山の日だ。
 休日祝日とか関係なく仕事しているから、普段はあまり国民の祝日を意識することはないが、山の日に限ってはうずうずしてくる。
 山に行きたい。
 さらにここにきて、山小屋にまつわる本を読んでその思いが強くなり、登山アプリ・YAMAPで登山のシミュレーションをしている。さて今シーズン、どれだけ行くことができるだろうか。
 その山小屋にまつわる本というのは、吉玉サキさんの『山小屋ガールの癒されない日々』という一冊。10年働いた山小屋での日常を綴ったエッセイだ。
 著者の吉玉さんは、山小屋バイトを始めるまでなんと登山未経験。初登山が出勤時だったという。山に縁がなかった吉玉さんがどうして山小屋で働き始めることになったかというと、友人の「山は山の社会だから」という言葉がきっかけだった。会社勤めをしているときに、心の調子を崩してしまい数か月で辞めることになってしまって、「社会不適合者だ」と悩む吉玉さんに、山小屋バイトを終えて下山してきた友人がそう言った。山小屋での仕事の詳しい話も聞かず、未知の山に飛び込む勢いと勇気に乾杯だ。
 しかも一度行くと、長いときは2か月間山から下りることができない。まさに今、“山に行きたい”というわたしのような登山客のために山小屋を切り盛りしてくださっていると思うと、山小屋スタッフの方々に感謝である。

 山小屋と言えば、わたしは初登山を思い出す(2018年11月2日の「ついに山登りはじめました」ご参照ください)。NHKの登山番組で行った谷川岳。群馬と新潟をまたぐ、日本百名山の一つだ。
 初めての本格的な登山、1日目のゴールは山小屋だった。7時間以上かけて山小屋に到着したときの、うれしさったらない。重い荷物を下ろして楽になるはずが、一気に疲労が押し寄せる。だけどみんな笑顔だ。
 そして初めて来た場所と思えないくらいに、山小屋はホッとするようなあたたかい空間だった。「いらっしゃい」と声を掛けてくれたはずだが、「おかえり」と言われているような感覚。たどり着いた、というより、帰ってきた感覚。初登山初山小屋で何を言ってるんだという感じだが、そういう妙な安心感があったのだ。同じ山頂を目指しているからだろうか、登山客同士も一体感がある。山小屋で知らない人たちと雑魚寝するという緊張と興奮が、一気に吹き飛んだ。
 ごはんも最高に美味しかった。いくらでも食べられるような気がしたが、眠気も同時にやってくる。そして歯磨きをするために外に出たときの衝撃。山の夜の暗さ、星の明るさに。プラネタリウムにいるのかと錯覚するほど鮮明だった。あれは小屋泊ならではのご褒美だ。

 そんなふうに良き思い出となっているのも、山小屋スタッフのみなさんのおかげだ、と今更ながらに本を読んで気づいた。
 当たり前に山小屋で美味しいごはんをいただいたが、それらの食料調達は数週間に1度のヘリ。その荷造りも、スタッフが下山してするそう。そして多い時ヘリは20往復もするのだとか。荷物を作り積み込む側も、受け取る側も大仕事だ。
 ただスタッフも、山小屋生活での楽しみの一つは食事。娯楽がない分、食事がモチベーションになっているそう。
「最盛期、男子は痩せるし女子は太る」。山小屋ではそう言われているらしい。
 男性は登山道の整備をしたり、ときには近くで怪我や具合悪くなってしまった登山客をフォローしたり、力仕事が多い。女性は主に接客や調理などを担当するため、あまり体を動かすことがない。吉玉さんも毎年山にいる間に5~6キロ増えることが普通だったとか。
 山小屋での仕事や生活を楽しみながら、いろんな登山客を迎え入れる。山の社会でも、もやっとすることはあるし、人との付き合いで悩むこともある。相変わらず、登山はそこまで好きではない。それでも吉玉さんの“山の仕事や暮らしが好きだ”という気持ちが伝わってくる。
 読んでいるうちに、仕事との向き合い方や生き方についての考えもいつのまにか柔軟になり、何かから解放されたように気が楽になっている。それは、山に行ったときに味わえる感覚に近い。

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