南沢奈央の読書日記
2017/10/06

金曜日のたからもの

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撮影:南沢奈央

 この絵本を眺めていたら、“宝石”という言葉がふと浮かんできた。
 二年前、ある新聞のコラムで紹介させてもらった時も、“宝箱に大切にしまっておきたい一冊”と書いていたことを思い出した。
 酒井駒子さんの『金曜日の砂糖ちゃん』である。
 
 わたしは酒井駒子さんの絵が本当に好きだ。とても美しい。
 本書に登場する動物や虫は柔らかで温かみがあって素晴らしいのはもちろんだけど、特に魅力的なのは、酒井さんが描く子どもたちだ。“かわいい”というより“綺麗”と言いたくなるような表情をしている。
 収録されている三篇すべて、主人公は子どもだ。描かれているのは、大人の知らない、子どもだけの特別な時間。夢を見ているような、幻想的な世界だ。

 表題作の主人公は題の通り、“金曜日の砂糖ちゃん”と呼ばれるかわいらしい女の子。お昼寝しているところを一目見ようと、ハチや鳥、バッタなどが集まってくるけれど、静かに寝かせておいてあげたいカマキリだけは、鎌をふりあげ女の子を守っている。おかげで金曜日の砂糖ちゃんはゆっくり眠ることができる。
 ふたつ目の「草のオルガン」は、気分が落ち込んでいる男の子が学校からの帰り、知らない道を通って行ってみると、草原が広がっていた。そこには音の出ないオルガンが一台。男の子が弾いているとバッタやチョウチョ、タンポポの花をくわえたカラスが集まってきて、一緒ににぎやかな楽しい音を奏でる。
 心温まる二篇だが、まだ話には続きがある。どちらも突然に大人が現れる。表題作ではお母さんが起こしにきて、「もう帰るの?」と言う生き物たちと手を振ってお別れをする。「草のオルガン」では黄色いヘルメットを被ったおじさんが来て「ヘビがでるぞ」と言われ、「ヘビにもあいたかった」と名残惜しそうに帰っていく。大人によって、夢のような世界から現実に戻るという展開なのである。
 子どもの世界と大人の世界の境界線が存在するように感じる。子どもが見る世界がより一層、色鮮やかで豊かなものだと知ることができる。ここが、ただ“美しいから”というだけでなく、ずっと見ていたくなる理由だ。

 それに比べ、最後の一篇「夜と夜のあいだに」は、夢のような世界のままで終わる。夜中に目を覚ました女の子はベッドを抜け出して、お母さんの白いシュミーズを着て、いつもは触ると叱られてしまう糸と針とボタンを持って、髪をとかす。扉を開けると、外ではたくさんの犬たちが待っている。「それきり もどっては 来ないのでした。」。
 家に連れて戻るお母さんも出てこないし、注意してくるおじさんも出てこない。ひとり夜に抜け出した女の子は、何を思い、どこまで行ったのだろう。不安になったり、わくわくしたり。子どもの頃の色んな気持ちが、絵と言葉の間からじわじわと滲み出てくる。
 三篇から蘇ってくる、かけがえのない感情や、思い出や一瞬を、こぼれないように大事に受け止めながら、最後のページを閉じる。

 『金曜日の砂糖ちゃん』のような宝石は、何度読んでも、何年経っても、色褪せない。そして、かがやき続けているだろう。
 二年前の自分の言葉を訂正したい。
 宝箱にしまっておくには勿体ない。いつも手の届く場所に、大切に持っていたい一冊である。

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