南沢奈央の読書日記
2019/04/08

平成の終わりに

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撮影:南沢奈央

「ライバルは誰ですか」と聞かれたことがある。正直言って、考えてみたこともなかった。
 幼稚園、小学校、中学、高校、大学……わたしがずっと求めてきたものは、1等賞より、自己ベストだった。
 通知表は絶対評価だったし、成績の順位表も貼りだされることもなかった。運動会では順位を付けず、危険な種目はなくすという方向に変わっていっているのも、目の当たりにしていた。
 競争の場がないから、ライバルも生まれない。対立もしない。
 ライバルを見つけられず、自己ベスト更新を目標にするしかなかった理由が、朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』で描かれていて、ハッとした。まさに、平成の社会の変化の中で、若者が抱えた闇があぶり出されていた。

 

 朝井さんとは、1学年違い、平成生まれの同世代だ。だから余計にそう感じるのかもしれないが、“そこそこ!”というところを突いてくれる。
「誰とも比べなくていい。そう囁かれたはずの世界はこんなにも苦しい――」
 帯にこんな文句があった。そうなのだ、どこか息苦しさも感じていた。
 わたしがもやもやを抱え始めたのは、大学時代に“リア充”という言葉を耳にした時だった。みんなスマホを持ち始めて、自分を公へ発信し始めた。初めは報告や独り言だったはずが、やがて他者の注目を集めるためのツールとなっていった。受け取る側も自分と比較して、恋人がいたり、大学のサークルや飲み会で充実している友人を「あの子、リア充だよね」と、羨ましさの裏に妬ましさを潜ませて、言うようになった。
 その後も、SNSで“いいね!”の数を数分ごとに確認したり、友人にフォロワーの数を聞いたり、常に誰かが投稿を更新していないかと目を配る人たちを見て、もやもやが大きくなっていった。
 やはり、人は人と比較せずには生きていけないものなのだろうか。
 本書に登場する人物たちも、ハッキリしない不安を抱えて生きている。同じような毎日が繰り返されることや、どんな死にも何も感じなくなった看護師。転校先で馴染めるようにと自分をおさえて相手を見てしまう、小学生。順位表が貼りだされなくなって不満を抱く同級生や、働く大人を馬鹿にするような同級生に、共感できない中学生。生き生きしている自分を見せつけたい、注目を集めたいともがく大学生。後輩にどんどん追い抜かれていき、何を作りたいのか見失っているディレクター。
 それらを乗り越えるために、それぞれのやり方を試みるけれど、息苦しさからは解放されない現実。
 だが、視界が開ける感覚は確実にある。抱えていたもやもやや、引っかかっていたものが、実に鮮やかに言語化されているからだ。
 そして本書は、その先へ行く。
 自分の価値は何なのだろうか。存在意義って、“生きがい”って――。
 全編を通して登場する、南水智也と堀北雄介という2人を周りの人物の視点で描いていくことによって、多視点だからこそ見えるリアルな世界が広がっていく。壮大で果てしなく見えた、その問いの答えも立体的に浮かび上がってくる。

 決してキレイゴトとして語らずに、最後の最後まで現実を突きつける本書の読了後、胸は実にチクチクしていた。痛い、とさえ思った。
 だけどこれがやがて鍼のように、じわじわと効いてくるものだということも、分かる。
 生きるエネルギーを受け取った。これからの時代を進む、光が見えた。

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