南沢奈央の読書日記
2018/12/07

親不知で食を整える

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撮影:南沢奈央

 親不知が突然痛み始めた。ついに歯茎を突き破って、顔を出そうとしている気配を感じる。どうして、今……。
 起きたら、歯茎が腫れていた。普通に口を閉じるだけでも圧迫されて、痛みが走る。舞台稽古にも集中できない。その上食べ物を口に入れると痛むから、食欲がなくなってきた。
 ただでさえ稽古に入ってから、食生活が乱れてしまっていた。稽古中、ご飯を食べるタイミングがむずかしい。稽古前に家でしっかり食べてきても、長時間の稽古はもたないので、おにぎりなど、軽くつまめるものを持っていく。だけどそれも5分10分の休憩のあいだに、台本を見ながら口に詰め込むという、しないように心がけてきた“ながら食べ”をしてしまっている。はじめは家で作ったもち麦ご飯おにぎりを持参していたが、早くも作る余裕がなくなり、コンビニで買っている。

 一日の楽しみであるはずの食事が、疎かになっている。
 だが年明け早々に舞台本番。絶対に体調を崩せない。そうなると食生活をしっかり意識して、体の調子を整えたい。
「今、体には何が必要か」を考えてから献立を決めるという山瀬理恵子さんのレシピ本が、今、わたしの体には必要だ。
『アス飯レシピ~アスリートの体をつくる、おうちごはん~』では、サッカー選手を夫に持つ著者が、どのようなシーンでどのような食事を作ってきたのか、コラムとともにレシピを紹介している。
 ぱらぱらっと写真だけ見ると、凝った料理じゃないか!と一瞬怯んだが、材料と作り方がいたって簡単。料理はするけどそこまで得意じゃないわたしのような人間は、普段使わないような食材や家にない調味料が要ると分かった瞬間、作るのを諦めてしまう。本書のレシピに使われているのは、身近な食材と家にあるような調味料だから、気軽に“やってみよう”と思える。
 それともうひとつ、料理や食に関してあまり詳しくないと少し引いてしまいがちなのが、栄養素の羅列。もちろん、それらを摂取したら良いのだろうなぁとは思うけれど、何がどう体に良いのか、いまいちピンとこないのが正直なところだ。
 だが本書では目的を設定したレシピになっているから、体をどのようにケアしたいかによってレシピを探しやすい。「スタミナ」「脳の活性化」「体づくり」「回復力」「体調を整える」「免疫力」「リラックス」と、栄養素に基づいて、効能が分かりやすく示されている。
 効能が分かると、料理をしようというモチベーションも上がってくる。そしてちゃんと食べたいと思う。
 おにぎり一つ握る時間がなくて慌ただしい朝を迎える日々。このアス飯を作る余裕を毎日持つことがとりあえずの目標になった。

 親不知が痛い上に、急に寒くなって、心細い。
 稽古を終えて家に帰ると、食卓の上に母からの差し入れが置いてあった。
 キムチ鍋だ。冷え切った部屋で、鍋を火にかけて、あつあつにした。食卓に座り、「いただきます」と手を合わせる。まろやかな辛さのスープに、白菜、大根、豆腐、豚肉、しいたけ。「養生三宝」と呼ばれる食材、白菜・大根・豆腐すべてが入っている。煮込まれていてとても柔らかく、味がよく染みている。実家でよく食べていた、母の味だ。
 親不知もおとなしくしてくれていた。親のやさしさを感じてくれたのだろうか。はて、そもそも親不知が痛んでいることを親は知っていたのだろうか。
「ご馳走様でした」と、親と親不知に感謝しつつ、食事を終える。全身があたたまった。緊張した体もほぐれていく。
 舞台後にはお別れすることになるであろう親不知も、今はわたしの一部だ。体にやさしい食事を心がけようと決めた。

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