南沢奈央の読書日記
2023/06/02

気がつけばいつもあなたがいた

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撮影:南沢奈央

 さて今回は、靴の思い出を綴ってみようと思う。
 これまでの32年という靴との人生を回想してみると、思い浮かぶものはどれも切ない。そしてどこか哀愁漂うものばかりなのが不思議だ。
 たとえば、小さい頃は自分が意志を持って靴を選んでいた記憶がない。だけど最近3歳の姪っ子が、「このくつ、かってもらったの~。ここ、ぴかぴかするんだよ~」と自慢げにキャラクターの柄の靴を見せてくれた。そして「なおちゃんのとなり♪」と言ってわたしの靴の横に並べてくる。かわいすぎる。が、その時思ったのだ。わたしは小さい頃、買ってもらった靴を自慢したことなんてあっただろうか。もしかしたらわたしは、3つ上の姉のおさがりの靴しか履いてこなかったのではないか、と。両親にわざわざ確認するのも面倒だし、そこに不満を覚えていた記憶もないから、どっちでもいいのだけど。ちなみに最近、祖父母の家を整理していたら、いとことの写真が出てきた。まだ2歳のわたしが履いていたのは、ナイキのスニーカーだった。かわいいではなく、かっこいい靴。2歳児をもってしても、つま先についた土の汚れに哀愁を感じる。
 なぜかセンセーショナルな出来事として記憶に残っていることがある。姉が買った靴を家で開けてみたら、左右のサイズが違ったこと。不揃いな新しい靴は、小学生のわたしにとって異様にショッキングで、その後たびたび思い出すこととなるが、その靴の結末は覚えていない。
 もう一つ、たびたび思い出す靴がある。中学に上がる時に買ってもらった、憧れのローファーだ。「ローファーといえばHARUTAがかっこいい」という話が友達内でされていたので、どうしてもHARUTAが欲しくて、母と電車に乗ってデパートまで行った。黒ではなく、ダークブラウンを選んだわたしは、革特有の光沢を手に入れて、大人の階段を登った気になっていた。だけどその帰り、電車の荷物棚に置き忘れることになる。そして見つからぬまま、さすがにHARUTAはお願いできないから「なんでもいい……」と言って買ってもらった黒のローファーで中学校生活をスタートしたのだった。あのHARUTAのローファー、電車に乗ってどこまで行ったのだろう。
 高校の時の靴の思い出といえば、卒業式だ。わたしは高校1年生から今の仕事を始めて、少しずつドラマに出演したりしていたのだが、先生だけには伝えて同級生にはまったく言っていなかった。本名ではなく芸名での活動だったし、目立つタイプでもなかったので、ほぼ気づかれぬまま3年間を過ごし、卒業式を迎えた。だが、受験期間を挟み、久しぶりに卒業式で登校したらなんと、南沢奈央として脚光を浴びていたのだった。同級生よりも、特に面倒も見ていない後輩にたくさん話しかけられた。握手してください、写真撮ってください、サインください、そして、「上履きください」。「え、やじゃないの?」とつい口にした。欲しいんです、大切にしますと、目を輝かせてくれているのを信じて渡して帰った。卒業式って持ち帰る荷物多いはずだけど、けっこう身軽で高校生活を終えたのだった。

 制服がなくなり大学に入ってから靴が一気に増えた。その分、自分以外の靴の思い出も増える。飲み屋さんの小上がりで靴を脱いで、帰りに自分の靴がなくなっている友人や、道端に落ちている靴の片方。ピンクのパンプスで靴擦れした春、ビーサンが海に流されていく様子をただ眺めることしかできなかった夏、サンダルの靴擦れの痛みを引きずっている秋、履こうと約1年ぶりに出したロングブーツの生気のなさに静かに涙した冬……。
 そんなこんなも乗り越えて、わたしは最近、白い靴にチャレンジしている。汚れることを気にせずに履きたいから、手を出してこなかった。が、白い靴っていい。爽やか。綺麗な白い靴は美しい。切なさを感じさせない。暑い夏なんかに履いても涼し気でいいじゃないか。ということで、わりと短期間に白い靴が3足増えた。汚れ防止で防水スプレーをかける。雨の日にはぜったいに履かない。少しでも汚れたらすぐに落とす。心がけていたつもりだった。だが、雨上がりの晴れた日に履いてしまった。気が緩んでいた。平気で水たまりに入ってしまった。迂闊すぎる。真ん中にできた黒い汚れは、切なくて申し訳なかった。これから梅雨が来る。白い靴たちには、しばらく光も当たらぬ下駄箱で眠ってもらうことになるだろう。白い靴と一緒に梅雨明けを待つのみである。

 ――と、『120%くつラヂヲ』のあとがきで編集者の方から「靴の思い出を読みたいです」と言われたのにもかかわらず、ほとんど違う話を書かれていた和田ラヂヲさんの代わりに、たくさん書いてしまいました。
 このマンガ、さまざまな靴が登場します。そして8コマの中に、いろんなドラマが生まれます。ただ、和田さんの靴との思い出ではありません。桃太郎が鬼にスニーカーをプレゼントして靴という概念を教えたり、宇宙人がとにかくいい靴を履いていたり、バナナの皮を踏んでもすべらない靴を開発したり、課長がビジネスサンダルとしてビーサンで出社したり。とにかく馬鹿馬鹿しくて、そして靴の可能性を無限大にしてくれる一冊。「ハッ!」とか「フッ!」とか、吹き出す系の笑い声が出てしまうので要注意です。
 いつの間にか、靴の切なさや哀愁すらも愛せるようになっていました。靴よ、いつもありがとう。

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