ごろごろ
畳の上でごろごろしたい。網戸の外からは蝉の声と公園で遊ぶ小学生の声が聞こえる。手の届くところには氷の入った麦茶と、本を一冊……。
舞台の東京公演が終わり、夏らしくだらだらと過ごす想像が膨らむ。
緊張の日々を日常的に過ごしていると、今度は終わっても緊張を解くのが難しくなる。全部で21回の東京公演の間、一度もなかったのに、本番中に台詞が真っ白になる夢を見たり、それだからか日中も気が付いたら頭の中で台詞を反芻していたり。舞台のことがなかなか頭から離れない。もちろん大阪公演があるから、気を抜いてはいけないのだけど、肩の力は抜きたい。
そんなとき、うちには畳もなければ麦茶もないけれど、高野文子さんの『るきさん』がある!
るきさんのように、都会暮らしをしていても時間や仕事に追われることなく、自分のペースで過ごせたらどれだけ楽しいだろう。せめてベッドの上でごろごろしながら、開く。
わたしが畳でごろごろしたくなったのも、るきさんがもらった誕生日プレゼントを思い出したから。友人が一日家事代行。るきさんはというと、畳でお昼寝をし、起きたらプリンを食べ、乾きたての洗濯物の匂いを嗅ぎ、ただひたすらにごろごろ。読んでいると、一緒になって眠たくなってくる。誰かわたしの代わりに家事をやってくれないかなと、叶わない夢を抱いてみつつ、台風が接近していることを思い出し、ごろごろを中断して洗濯をする。
お風呂に入ったときには、るきさんとおんなじ妄想をしてみると、また楽しい。お風呂に入りながら、コーヒーを飲んだりして、丸一日お風呂場で過ごす妄想。本を読んだり、仕事をしたり、ご飯を食べたり、もちろんお風呂にも入るし、夜もそのまま寝る。浴槽の中に布団を入れて寝たら不思議な感じがしそうだと気分が上がる。ただお風呂に入るとびしょびしょになってしまうから、寝る前には入らずに朝風呂にしようと考え、ご飯はお弁当にしておかなきゃと思うが、あったかいご飯を食べたいから食事を作るときときは外に出ることを自分に許す。トイレも、だ。と真剣に考えるるきさん。子どものような心と、実際はやりませんというサバっとした大人な判断を持ち合わせているという部分も見習いたい。
ただ、図書館で読みたい本が小学生と被ったときにぜったいに譲らないとか、お腹が空くとめちゃくちゃ不機嫌になるのは、笑えるほど子どもだ。あと、壊れてしまった鏡台の代わりにブラウン管の反射を使うことや、ラー油を工具箱に仕舞うことは気にしないのに、自転車に乗りながら食べていたおせんべいを途中で落としてしまったことを、一日中気にしている。けど正確には、自分のした行動よりも、「夜露でぬれたかも」とか「あたしなら歩いて十分だけど せんべいにすればかなりの距離だ」と、夜布団に入ってもおせんべいの境遇を気にかけているのだ。おせんべいを思いやるのに、子どもには決してやさしくしない。天然なんだか、ずぼらなんだか、大雑把なんだか。このつかみどころのない性格が、るきさんの魅力だ。だめな部分もすべて愛らしく見える。
ああ、るきさんのように脱力したい。大阪公演本番で緊張を楽しめるように。洗濯物を干して、今度はクッションソファに倒れこむ。洗濯物が乾いたら、誰か取り込んで畳んでくれないかなぁ。