南沢奈央の読書日記
2018/11/23

タイとマンガ

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撮影:南沢奈央

 旅先で本屋さんに行くのが好きだ。
 先週タイに一人旅してきた時も、お土産を買いに入ったショッピングビルの中に、大きな本屋さんを見つけて迷わず入った。バンコクの街を歩いていたときは、読めないタイ語の看板にクラクラして、不安になったのだけれど、本屋さんに入って、いくらタイ語の本に囲まれても気持ちが落ち着くのは、やはり本の力だろうか。不思議なものだ。
 どんな人が本屋さんに居るのか、どんな風に、どんな本が並べてあるのか。その中に日本の作品を見つけられたらうれしい。
入ってすぐ、一番目立つ場所に大きな映画のポスターが貼ってあるのが目に入った。横には原作とみられる本が積まれている。
 タイで今人気のある作品なのだろうなとよく見ると、ポスターには知った顔が……。日本の有名な俳優さんだった。うれしいけど、戸惑い。
 日本の作品を見つけるミッションは早々に完了してしまったから、そこからは、読めないタイの文字をどうにか読解できないものかと、並んだ文字を観察し、想像しながら店内を回った。もちろん、何もわからなかった。
 ふと、店内にほとんどお客さんがいないことに気が付いた。自分のほかに、欧米のご夫婦がいるくらい。タイ人がいない。

 
 そういえば3泊5日のバンコク滞在中、本を読んでいるタイ人を一人も見なかった。電車でも、スマホを触っているか(日本ほどではない)、窓の外を眺めているかだ。
 小耳に挟んだ、「タイ人は年8行しか読まない」説は本当なのだろうか……。
 帰国後、そんな土産話を知り合いにすると、「“タムくん”っていうタイ人の漫画家を知っているよ」。なんと!
 タムくん。本名、ウィスット・ポンニミットさん。
 タイではみなニックネームを持っていて、本名で呼び合うことがない。長年の付き合いでも、ほとんど本名を知らないこともあると聞いた。

 日本に二年半住んでいた作者が、日本で感じたことをマンガとエッセイでまとめた『タムくんとイープン』。
 はじめて東京に来たときのことを、タムくんはこう表現している。
〈人人人、車車車、ビルビルビル……バンコクみたい〉
 わたしも今回はじめてバンコクに行ったときに、同じことを感じていた。
 バンコクは、東京みたいだ。
 まず到着した日、夜景を見たときにそう思った。
 高層ビルが無数に立ち並び、幹線道路にはたくさんの車が流れている。蛇行するチャオプラヤー川には、煌びやかな光を放つ船がいくつも見えた。
 地上63階(247メートルの高さ!)にあるルーフトップバーから夜のバンコクを眺めていて、タイにいることを一瞬忘れてしまった。
 東京ほど洗練されてはいないけれど、とても清潔だ。道にほとんどゴミが落ちていないし、臭いところもない。海外に来てトイレが気にならなかったのも、初めてだった。
 昼のバンコクを歩いても、街の雰囲気に東京に通ずるものを感じた。

 街の雰囲気が近いものがあっても、やはり漫画に対する意識はまったくちがう。
〈日本人はマンガと一緒に育ってきた感じがする。(中略)初めて会った人とも、映画よりマンガの話をすると、盛り上がることが多い。家の中でもマンガの話ができる日本人が、とてもうらやましい〉
 確かに年齢や世代の話になった時に、よく漫画の話題になる。日本で漫画は、時代を懐かしむことができる共通言語のようなものになっている。
 母親から「タイでマンガ家なんて誰もなっていないから無理よ。仕事にならないでしょ」と言われていたタムくんだからこそ描ける、ほっこりするストーリーが「お宅」という漫画。
 こそこそと自分の部屋でアニメを見る小学生の男の子。お母さんが覗きに来ると、勉強しているふりをする。繰り返していたある日、ついにお母さんに見つかってしまう。「許せない!」。怒られると思って男の子が謝っていたら、そこでお母さんがひとこと。
「みるときには お母さんも呼んで一緒にみようよ」
 タムくんにとって、親子で漫画の話をすることが夢だったのだろう。日本では当たり前のように、小さい頃から漫画やアニメ、本が身近にあった。ふとそのことに、感謝した。
 他にも、日本人が気を遣いすぎていることや待ち合わせに関すること、「かわいい」について、タイから来たからこそ気付ける日本と、タイの感覚が、漫画によって浮き上がってくる。
 ほほえみの国のタムくんが、とてもあたたかく、やさしく日本を見つめ、切り取っている。
「日本の人に読んでもらいたい」と作られた一冊が、タイの漫画界を開拓し、やがて新たな畑が耕されていくことを、バンコクの太陽を思い出しながら願った。

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