南沢奈央の読書日記
2023/12/15

こたつに降る雨

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撮影:南沢奈央

 こたつで足元があったまって、鼻をぢゅるっとさせながら(時に、強くかみすぎてティッシュに血を滲ませながら)、いつものレモンサワーをあおり、連絡を取っていた友達とも「おやすみ」と言い合った深夜1時半過ぎに、この本を開いた。
 外は、雨が降っているようだ。夜の静けさに深みが増す。自分の部屋が雨によって、守られているような安心感を生む。とても好きな時間だ。
 目の前のテレビはついているけれど不思議と音は入ってこない。聴こえてくるのは、心地よいリズムと言葉——『水歌通信』だ。

 雨の日に合う本、というものがある。まさにこの本はそれだ。季節的になかなか行かないけれど森の小川の近く、とか、読みづらそうだけど夜の海辺、とかも合いそう。生きている水を耳で感じられて、それでいて静けさが漂っている場所。たまたまわたしはそれが、雨降る夜のこたつだったわけだ。
 この本は、ふたりの女性の歌人によって紡がれた歌物語。と書いてみたものの、「歌物語」という言葉を使って本を紹介したのは初めてだ。
 歌集でも小説でもない。でも短歌と掌編で構成されている。そう、両方なのである。お互いの短歌と掌編のやり取りが繰り返される。それらが直接関連づいているわけではないのに、“つながっている”という感覚がある。「歌物語」としか言いようがない。もしかしたら新しいジャンルなのではないだろうか。
 短歌と掌編を紡いでいくのは、くどうれいんさんと東直子さん。短歌にそんなに明るくないわたしでも知っているおふたりである。

 雨に合う、と表現したのは、もしかしたら雨が登場する作品が多いからだろうか。始まりもそうだ。
〈櫂として持つ傘とペン どの雨のどの一粒も海へとつづく〉
 このくどうさんの作品を受け取った東さんは、こう続く。
〈垂直のガラスを蛸があるいてる雨つよくふる都市のどこかに〉
 それぞれに掌編が添えられている。解説やエッセイではないからこそ、現実に戻らない。作者の顔を思い浮かべることもなく、短歌で広がった世界に浮遊したまま、たゆたっていられる。
〈朝の雨にぬれていく人そのひとりの鞄の中の本の栞よ〉と歌った東さんは、後にも「雨はすてきだ。」から始まる掌編も綴っていて、雨に対する愛おしさを感じる。
 雨も含め、水にまつわる作品は全体を通して印象に残る。
〈帰るころにはこんなに暗い自転する星に蒸発する水たまり〉
〈水たまりを踏んずけ笑う子であれば違う気球に乗れたでしょうか〉
 見開きで、右左におふたりの短歌が並ぶ。それぞれが表現しているのは、まったく異なるものなのに、東さんの短歌を受け取ったくどうさんが言葉のしりとりをしているようで、人生が交わったような、素敵な瞬間だった。
 おふたりは温度感ではなく、湿度感を分かち合っている。それはホッとする湿度だ。心地よくて、ずっとこの中にいたくなる。
 でもこの雨は、朝には止むという。わたしも日常に戻っていくのだ。そういえば、さっき「おやすみ」と言い合った友達とのその前のやり取りは、「傘を取りに行こう」だった。わたしたちは、同じお店に忘れてきた傘を取りに、同じ場所でまた会う。

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