南沢奈央の読書日記
2018/01/26

雪道の一歩

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撮影:南沢奈央

 雪道を歩く。
 慣れていないから、雪が薄くて地面が見えているところを選んで歩く。急にツルっと滑ったと思ったら、そこにはうっすらと氷が張っていたり、マンホールがあったりする。足にぐっと力が入ると思ったら、緩やかに登り坂になっている。今まで真っすぐずんずんと進んでいた道を、蛇行し、ゆっくりと歩く。いつもの道が、知らない道のように思える。
 伊吹有喜さんの『ミッドナイト・バス』に出てくる人物たちも、まるで雪道を歩いているみたいなんだよなぁと、冷え固まった身体をお風呂で解凍しながら思った。

 物語の舞台は、新潟県の美越市という、まさに雪深い場所だ。美越から東京や関西を繋ぐ深夜バスの運転手として働いている利一が主人公である。利一は16年前に離婚をして、男手ひとつで育てた息子と娘も自立し、自分も東京に若い彼女が出来て、穏やかに過ごしていた。だがある日、東京で働いていた息子・怜司は突然家に舞い戻ってくるし、婚約相手を紹介したいと言っていた娘・彩菜から連絡が来たと思ったら仕事を手伝ってほしいと言う。さらには、自分の運転するバスに乗客として乗り込んできたのは、別れた妻である美雪だった。
 美雪は、名前の通りまさに雪のような存在だ。怜司が「雪が降るたび、お母さんのことを思う」と言うように、16年前に子ども二人を置いて家を出ていってしまった母のことを子どもふたりは、溶けていなくなってしまう人として、記憶の中に刻まれていた。だから、自分たちの目の前に突然姿を現したことで、戸惑い、怒り、苦しむ。一方、利一の記憶の中の美雪は、切なく美しい人のままなのだ。再会したことで、むかしの感情が蘇ってくる。
 雪が現れたことによって、今まで歩いていた道ではなくなった。はじめは、みな尻もちをつかぬように、安全な場所を選んで、一歩を出す。慎重すぎて、その場で足踏みしているだけだったり、回り道をしている。なかなか前に進まない。それぞれに感情が動き始めながらも、なかなか過去に向き合えないでいるのが、見ていてもどかしい。
 だけどそれは、無意味ではないのだと気付く。
 己が出す一歩で、雪道は変化する。足踏みしていれば、その場所の雪は少しずつ溶けてくるし、回り道したら新しい道が見えてくることもある。
 やがて雪どけを迎えたとき、ひとつの家族が踏み出す一歩がとても特別なものになるのだ。
 
 たった一晩の、出来たての雪道を歩いた夜をふと思い出す。
 空は暗いのに、辺り一面が白いとこんなに明るく感じるのかと、キラキラ光る雪道をしばらく見つめた。まだ誰の足跡もついていないところをあえて選んで、踏みしめてみる。するとふわふわの雪は、きゅっきゅと音を発し、硬くなる。
 自分の一歩が、道を作っている。一歩一歩が世界を変えていく。ゆっくりと、大切に、進もうと心に決めた。

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