南沢奈央の読書日記
2023/06/16

COOKIE

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撮影:南沢奈央

 1週間ほど彼から連絡が来ない。最後に会ったのも1カ月と2日前だ。きっとこの関係も終わりなのだろう。仕事も失敗ばかりで、普段気軽に会うような友達もいないし、うまくいかないことばかり。その日も仕事からの帰り、コンビニで買った缶ビールとミックスナッツをレジに忘れてきてしまったことに、家に着こうかというところで気づいた。住んでいるアパートは急坂の中腹にある。この道をもう一往復する憂鬱さを考えて、諦める。そうだ、これまでもいろんなものを諦めてきた人生だ。
 虚しさを抱えたままいつも通りに家に入ろうとしたら、隣の“猫屋敷”と呼ばれる家におばあさんと一緒に住む男の子がこっちをじっと見ている。夜空が晴れていて気持ちのいい夜だった。なんだか誰かと話したいような気がして話しかけてみると、男の子は言う。「お姉さん、寂しそうだね」。わたしは不思議と素直になっていく。「寂しい」。そして、彼に会うために急坂を引き返していくのだ――。
 
 こんなあらすじの短編を、10年以上前に書いたことがある(どこにも発表していないが)。タイトルは「COOKIE」。久しぶりに読んだら、くすぐったくなるような表現とかたくさんあって、その時のわたしじゃなかったら書けなかったなぁとしみじみ。
 それはおいて、実はこの後にちょっとしたオチがある。主人公の女性が話していた男の子というのが、その猫屋敷に住む猫だった、というオチだ。孤独な人間の話し相手になって癒やしてくれるのが、実は猫。これが書きたかったのだ。
 タイトルは、尾崎豊の「COOKIE」という曲から来ている。この曲を聞いて、なぜか猫のイメージが湧いてきた。サビの「Heyおいらの愛しい人よ おいらのためにクッキーを焼いてくれ」の“おいら”が猫にしか思えなくて、猫に喋らせたいと思って生まれたものだった。

 猫には不思議な存在感と惹きつける何かがある。当時断固犬派だったのに、物語で描きたいと思わせる何かがあるのだ。
 実際、多くの作家が作品に猫を登場させている。そんなさまざまな「猫文学」をコミカライズしたのが、長崎訓子さんの『Catnappers 猫文学漫画集』。
 3本の指に入る、わたしの好きな猫作品『猫のミーラ』という絵本の作者である井上奈奈さんが教えてくれた。そのときに、内容ももちろんだが、装丁について言及していらっしゃったので実際に手に取ってみたいと思ったのだった。表紙は里紙という柔らかくナチュラルな風合いが出る紙を使っていて、そこにピンク色の箔押しが施されている。ついつい触れたくなる本だ。
 これは、イラストレーターである長崎さんによる文学作品のコミカライズ第3弾。これまでは「短編作品」というテーマだけで選んできていたそうだが、今回は「猫文学」というテーマであらゆる文学作品がピックアップされている。長崎さんが「自分の趣味全開で作品を選んできました」というのは、芥川龍之介、赤川次郎、中原昌也に筒井康隆、そして更級日記まで。そしてルナール、サキといった海外作品も。
 分かりやすく猫が主役というわけではなく、さり気なくそこに猫がいる、という感じでも登場するのが良い。猫がいることによって、目線に変化が生まれる。
 芥川の『お富の貞操』では、三毛猫が登場する。揉めている男女の傍らの三毛猫のリアクションや、二人を見ている猫目線のコマが入ることによって、シリアスになりすぎずに空気が和らぐ。こういった、猫がいることによって生まれる構図はコミカライズならでは。
 サキの『レディ・アンの沈黙』は、昼にケンカしたらしい夫婦の話。夫が帰宅して仲直りをしようといろいろと弁解するが、妻は椅子に座ったまま、だんまり。呆れて部屋から夫が出て行ったあと、その部屋の暖炉の前で寛いでいた猫がストーリーテラーとなり、まさかの真実が明らかになる、というもの。前半はただ毛づくろいをしたり、寝ているだけの猫が、「阿呆だよ。君たちは。」とこの夫婦について語り出すのが面白い。
 猫たちはいつもどんな思いで人間たちを見ているのだろう、と考えてしまう。想像はいくらでも広がる。広がるからこそ、物語が生まれる。だけど我が家の猫たちを見ていると、きっと特に何も考えていないんだろうな、とは思う。でも、もしかしたら、と思わせる猫……。猫派に転向した今、また猫の物語書いてみようかな。

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