南沢奈央の読書日記
2018/11/02

ついに山登りはじめました

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撮影:南沢奈央

 最近、本屋さんでの歩き方が変わった。
 文芸コーナーに行く前に、「アウトドア」「山岳」という文字を探してしまう。雑誌「山と渓谷」を手に取り、次の休みはどこの山へ行こうかな、なんて考えている。
 一度の経験で、まさか自分がここまで変わるとは。
 今わたしは、山に呼ばれているような気がしてならない。
 去年の夏頃から、山のことが気になってはいた。姉と海水浴場に行ったことで、自分は海派ではなく山派であることを確信し、そしてその後ボルダリング仲間から山登りを勧められ、ある本を読み、登山欲が湧き上がった。
 とはいえ、山岳雑誌を読み込んで勉強するような行動力も、誰かを誘う積極性もなければ、登山グッズを揃えるほどの現実感もなかった。
〈「山登りはじめました」という報告、楽しみにお待ちくださいませ〉
 読書日記にそう記してから、約1年。ようやくその時が来た。
 わたし、山登りはじめました。
 

 きっかけは、この読書日記だ。NHK BSプレミアム「にっぽん百名山」の番組ディレクターさんが読んでくださって、「11月5日放送のスペシャルで、山に興味がある“初心者として”山登りにチャレンジしてみませんか?」とオファーしてくれたのだった。二つ返事で引き受けた。
 行先は、谷川岳・西黒尾根ルート。山頂付近の山小屋に泊まって、翌朝頂上でご来光を見て下山という、1泊2日の山旅である。
 当日、登山口で女性ガイドの方と合流し、装備の確認などを行って、いよいよスタート。
「ここは日本三大急登のひとつで、最初2時間ほど急坂が続きます。健脚者向きのコースとなりますね~」
 爽やかな笑顔で語りかけられたが、笑えなかった。
(聞いてないよ!!)
 それが顔に出ていたのだろうか、
「トレランをやっているなら、大丈夫ですよ」
 と明るい声で励ましてくれた。
 確かにオファーを引き受けたときに、自分で言った。普段からボルダリングを趣味でやっていて、トレラン(山道を走る)経験もあるということを。意気込んで、伝えていた。
 その追加情報のせいだろう、わたしを待ち受けていたのは、ロープウェイを使わずに標高差約1200mを登る、西黒尾根ルートでの登山デビューだった。
「頑張りましょうね!」
「奈央さんなら、大丈夫ですよ」
「ゆっくり行きましょう」
 言葉に励まされるということはこういうことか、と実感した。頑張れる。大丈夫だと自分を信じることができる。ゆっくりと、小さな一歩を重ねた。
 気がつくと、森林限界まで来ていた。周りには高い木がない。急に景色が開け、木々で遮られていた日光を全身に浴びる。雲の動きが見える。風を感じた。
 だがここからが、想像をはるかに超えていた。
 稜線は狭く、ごつごつとした岩場になる。ヘルメットを装着するよう、指示が出る。
(山登りでヘルメットって被るものなの……?)
 また顔に出ていたのか、それともガイドさんが心を読み取るのが得意なのか、
「ボルダリングやっているなら、大丈夫ですよ」
 そうなのだ、自分が言ったのだ。番組スタッフさんはじめガイドさんは、わたしの経験を十分に生かせるルートを選択してくれたのだ。
 登る。岩壁をよじ登っては歩き、またよじ登る。
「さすがボルダリングやっているだけのことはある、筋がいい」
「足の置き場が分かっている」
 スタッフさんたちは口々に褒めてくださった。
 だけど正直こわかった。岩は洒落にならないくらいツルツルと滑るし、時に小さな小石もころころと転がってくる。ジムでやっているボルダリングとは大違いだ。
 一休みと思って、歩みを止めて後ろを向いた。背筋がぞっとし、足が竦んだ。死の危険を感じた。ここで気を緩めたら、簡単に死ぬ。
 過信してはいけないと、自分に言い聞かせながら、前を、いや主に上を見て、進んでいった。前を歩くガイドさんが足を置く、安全な場所をしっかりと観察し、自分も確認しながら登っていく。無我夢中だった。
 山小屋についた時には、登山口から歩き始めて7時間以上経っていた。
(すみません、長くなりますので詳細&つづきは、5日の放送で……)
 
 谷川岳から帰ってきたわたしは変わった。本屋さんに行けば必ず山に関する本を眺め、友人を山登りに誘い、実際母とは近場でトレッキングに行き、登山用品店に買い物に行く。
 本屋さんの山岳コーナーで見つけた唯川恵さんの『バッグをザックに持ち替えて』も、山登り以前と以後では感じることはまったく違う。
 今、本気でいろんな気持ちが動いている。山の近くに住むのは有りなのではないか。山登り仲間を作りたい。同じ山に何百回と繰り返し登る楽しさを知りたい。高山病とはどんなものなのか。山に登るためにトレーニングをしたい。自分で道を作りながら進む雪山に入ってみたい。山の中で霊的な不思議体験をしてみたい。
 わたしもいずれ唯川さんのように、エベレストを目指してみたい。
 考えるだけで楽しくて仕方ない。

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