南沢奈央の読書日記
2017/11/17

あたたかい冬を

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撮影:南沢奈央

 人生初の一人暮らしでの最初の発見が、“寒い”ということだったのを思い出した。
 どこの家電量販店に行っても、“新生活応援”されるような時期だった。わたしも家電一式お世話になったが、引っ越し当日に応援してくれたのは、これまでずっと一緒に暮らしてきた家族だった。自分の部屋で使っていた本棚や作業机を置き、使わないからと持たせてもらった食器やクローゼットに眠っていた衣類などを片付け、そうしている間に冷蔵庫とテレビが設置された。
 とりあえず部屋らしくなったのを見届けた家族から、初めて、「帰るね」という言葉を渡された。腰を痛めていた父、連日荷物の整理を手伝ってくれていた母、せっかくの休日に予定を空けてくれた姉、前日のフットサルの筋肉痛があった弟。初めて、家族が帰っていく姿を見送った。部屋に戻ると、“寒い”と思った。
 一人きりの家は寒かった。夜には、眠気よりも寒気が先に来て、布団にもぐり込む。外でロケを終えて、早くあたたかい家に帰りたいと一瞬考えてハッとなる。一日誰も居なかった家はもっと冷え切っている。一人暮らしは毎日のようにわたしに寒さを痛感させた。

 季節が変われば、心境も変わる。こんな悩みはいつの間にか消え、最近まですっかり忘れていた。だが先日、ここ最近の冷え込みによって風邪を引いてしまった。だるい身体でお粥を作り、熱々のお椀を持って食べている時にふと寒いと思った。一人の寒さを初めて知った時の感覚を、思い出したのだった。
 そこへ来て浅田次郎さんの『夕映え天使』を読んだものだから、ひさびさに泣いてしまった。自分の中に仕舞っておいた、家族と一緒に住んでいた頃の家のあたたかさが、一気に溢れ出てきたのだ。ものすごく家族に会いたくなった。
 こうは言っているけれど、収録されている6篇すべてが家族の話というわけではないし、それぞれで作品の味わいがまったく異なる。昭和の香りがするものから、近未来のようなもの、ミステリの雰囲気が漂うもの、ファンタジックなもの……。
 異なる空気の中で、共通して描かれているものがあると感じた。それは、「別れ」だ。
 突然行方不明になった女性を巡って、二人の男が出会い、意外な形で女性との関係にケジメをつける表題作。かつて惚れていた女性と、彼ららしい方法で別れる。おじさんが二人で自転車にニケツして帰る最後の場面は、傍から見ると可笑しい光景かもしれないけれど、とても格好よく見える。
 「切符」では、祖父と暮らしている少年が、引っ越していく近所のお姉さんに向けて、何度も「さよなら」と繰り返す。そして最後の“命を絞るほどつらかった”という「さよなら」は、少年が手放せなかったものとの決別の一言となる。次の「特別な一日」は、近未来のようなもの、と表現した一篇。ある定年を迎えた男性の、会社との別れの話と思いきや……。ある意味、すごく壮大なテーマである。「琥珀」は、定年間近の警官と時効目前の指名手配犯が、偶然出会う話。二人とも心を縛り付けていたものから解放される、潔い結末が待っている。「丘の上の白い家」は、貧しい少年二人と丘の上の少女、三人のやさしさ故に起こる悲劇に思いがけない、別れが待っている。最後の「樹海の人」は、自分の元へ未来の自分が現れる不思議な体験を回想する異色な作品だ。未来の自分を見逃してしまったことは、選択しなかった道への別れを意味しているような気がした。
 どれも「別れ」に、悲しさや虚しさではなく、人生のあたたかさを感じる。別れの場には、去る者と見送る者がいる。各々が別れると、それで終わりなのではなく、またそこからそれぞれの時間が始まっていくのだということを、この一冊は気付かせてくれる。希望の光を含んだ作品たちなのだ。

 そしてまた、はたと気付いた。わたしが初めて家族のことを一人で見送った時、本当はわたしが見送られる側だったのだ。そしてその時感じるべきものは、一人だという寂しさではなく、家族の“あたたかさ”だったのかもしれない。

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