南沢奈央の読書日記
2018/02/09

かにみそ、いただきます

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撮影:南沢奈央

 先日知り合いの方から、かにみそを勧められた。
 かにみそ美味しいから食べてみて、ではなく、かにみそ面白いから読んでみて、と。
 『かにみそ』。倉狩聡さんのホラー小説のタイトルだ。その方曰く、「蟹の友達が欲しくなりますよ」……。
 ディズニーランドのホーンテッド・マンションでさえ、未だに怖くて目を覆ったりしているわたしなので、“ホラー”と言われると普段なら絶対に避けるところだ。だけど、可愛らしいタイトルから始まり、蟹の友達が欲しくなるって……怖いことを連想させる要素が見当たらない。
 人生で初めて、ホラー文庫を求めて書店へ行った。ホラー文庫の棚に並ぶ、おどろおどろしいタイトルの中で、この「かにみそ」という平仮名4文字はとても浮いていた。もしこれが、漢字で「蟹味噌」だったら、手を出さなかったかもしれない。そして棚から引き出して見えた表紙に、また拍子抜け。人の頭の上に乗ったヨダレを垂らしている真っ赤な蟹は、何ともほのぼのしたテイストのイラストなのである。これを見たら誰でも、これ本当にホラーかな?と疑念を抱きながらのスタートになるだろう。

 20代で無職、優しい両親に養ってもらいながら生活する青年「私」と、海岸で拾ってきた小さな蟹との奇妙な共同生活の話だ。蟹は知性を持ち、言葉を話す。蟹という友達が出来た「私」は生気を取り戻し、蟹の食糧の為に仕事を始める。その間に蟹はテレビや新聞を見て学習し賢くなっていくと同時に、与えられる豊富な食事によって食欲は異常なまでに増幅していき、体もみるみる大きくなっていく。そして蟹は、やがて人間をも食べるようになっていく。
 飼い始めた当初の支配欲と、いつでも死に至らしめることができるという自負は、蟹に対する脅威に変貌する。恐ろしさを感じる一方で、蟹が人間を食べる様子に妙な快感を覚え、蟹に愛おしいという感情も捨てきれない。わたしも「私」と同様で、蟹に愛着が湧いていることに途中気付いたとき、鳥肌が立った。

 人間の視点に、蟹の視点が加わることによって、物事のさまざまな側面が見えてくる。
 蟹は決して人間を滅ぼしたくて食べているわけではない。“生きるため”に食べているのだ。だからこそ食料が育つ環境は良くあってほしいと思うし、口にするものは栄養の摂れるものがいい。たまに自分が何を食べたいのか分からず、ただ空腹を満たすだけの食事をしてしまうことがあるわたしには、“生きることは食べること”という根源的なメッセージが鋭く胸に刺さってくる。
 また、蟹は人を殺しているという意識がまったくない。罪悪感がないのだ。つまりは、想像力を持たないということだ。「みなに等しく人生があって、繋がっている人があって、それぞれの役割を果たしている」ということに気付けるのは、想像力を持った人間だけなのだ。怒りという感情も理解できず、いつの間にか巨大化して暴走している蟹の姿を見て、人工知能(AI)が頭に浮かんだ。最近AIに対してかすかに抱いていた怖さの正体はこれに近いかもしれない。ふとそんなことまで考えさせられた。

 生きること、食べることとは。環境問題について。人間らしさとは。最後まで蟹への愛着は抱き続け、辿り着いたゴールには、善悪とは何か、という問いが待っている。
 初めてのかにみそは、とても濃厚で、苦さが残る。きっとすぐに、もう一度味わいたいと、手を伸ばすことだろう。

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